日本音楽即興学会(JASMIM)2009大会報告



'Evaluation of Musical Improvisation in Education'


コーディネーター:

ユミ・ハラ・コークウェル 

Yumi HARA CRAWKWELL

(イーストロンドン大学)


パネラー: 若尾裕 (神戸大学)

三宅珠穂 (作曲家、即興演奏家、音楽教室主宰)


コメンテーター: 寺内大輔 (九州大学大学院芸術工学府、広島大学非常勤講師)

沼田里衣 (神戸大学大学院国際文化学研究科 地域連携研究員)


【概要(大会抄録記載)】


近年、即興音楽実技が学校や大学などの教育機関でカリキュラムにとりあげられるようになってきているが、正式な科目となると避けて通れないのが評価の問題である。英国の大学の場合、評価が行われていないと科目として成立せず、従って予算も出ないため、教える場所も、機材の使用も、教員の講義時間も認められない。私はロンドンの総合大学の音楽コースで即興音楽を教えているが、期末の実技試験の時には、ダンスや演劇も含めたパフォーミング・アーツの全科目共通の採点シートを用いなければならず、採点基準のうちには不適当なものが存在する。また、学生のバックグラウンドが余りにも幅広く、演奏技術の差が激しく、演奏するジャンルもヒップホップからいわゆる「フリー」まで多様である。このため評価する側とされる側、それに加えて外部の試験官も納得できる評価の基準と方法を導入したいと考え、研究を開始しようとしたが、資料が非常に少ないことに気づき、同じような立場にある方々と評価方法やシステムについての情報交換を行い、また、評価について興味のある方々とよりよい方法を模索し、問題点を討論するためにパネルディスカッションを企画した。


従って、今回のディスカッションにおいては評価を行わないと科目として認定されないという現実を前提とし、「即興音楽における評価の是非」というような評価そのものに対する疑問については、時間にも限りがあるため、あえて取り上げない。しかし、「どのような観点でどのように評価すべきか」などの点については活発な討論を期待する。


当日は、まず、大学で正式科目として実際に即興音楽を教えていて、好むと好まざるとにかかわらず、即興音楽演奏の採点評価をせざるを得ない立場の若尾裕教授と私がそれぞれ実際に行っている採点評価の方法、システムを紹介し、問題の提起をする。次に、特に採点評価を公式に必要とされているわけではないが、自らの音楽教室で幼い子供たちにも即興演奏を指導している三宅珠穂氏に、指導者として日頃考える評価の問題、また演奏した本人の側からの評価といったことについて話題を提供していただく。そのあと、評価の問題について興味をもっている寺内大輔氏と沼田里衣氏にコメントをいただき、会場全体に討論の場を拡げる予定である。





【報告】


コークウェル: 私は英国のイースト・ロンドン大学という総合大学の人文社会科学部の中にある、音楽文化コースで音楽を教えています。英国の大学では「評価」をしないと科目として認められません。教えるだけ教えて評価をしないでいると予算も出ない、部屋も与えられない、講師の時間も出ない、ということです。私がこの大学に赴任した時すでに即興音楽の科目があって、私はそれを引き継いだんですが、その科目を続けていくためには、好むと好まざるとにかかわらず、評価をしなければならない。そもそも即興音楽を評価することに意義があるのかとかそういう議論もあると思いますが、それはこの討論では置いといていただく、それからそもそも即興音楽というものを教えられるのかという議論もあるかと思いますが、これも現実に教えておりますので(笑)、そのあたりも納得していただいたうえでの議論ということでよろしくお願い致します。


評価の難しさ、特に私の大学での難しさといいますのは、学生の音楽的背景、経験、技術のレベルが非常に幅広い。いわゆる「音大」、むこうでいうコンセルバトワールのようなタイプの学校とは違って、全員が一様に楽器ができるというわけではないんですね。いわゆるプロデューサー・タイプと言って、コンピューターだけで音楽をつくるダンス・ミュージックの人とか、DJとかMC、ラッパーですね、そういう学生には、普通の意味での器楽の教育はできないわけです。そういう学生も入れて即興のアンサンブルをするわけですが、そういった技術的にイコールでないものの評価をどうするのか。それから実際に演奏する音楽の種類が非常に多様ですから、「いわゆるフリー・インプロヴァイゼイション」みたいなのをする学生もいれば、R&Bやヒップホップのラップを即興でするのもいる。そういうものをどのように平等に評価するか。このようなことが私が問題に感じていたことです。


今回学会のコールがあったとき、本当はこのことについての研究発表をしようと思ったんです。しかし調べてみたところほとんど即興音楽教育や評価の問題に関する研究がなく、自分の経験だけでは発表として成り立ちませんから、それよりも、シンポジウムの形で同じような経験をされている先生方と現状の情報交換、それから実際にどういう評価をしているか、そういうようなものからまずはほとんどゼロから始めるために、このようなシンポジウムを企画させていただきました。これがこのシンポジウムの趣旨です。


シンポジウムの目的といたしましては、評価方法や評価のシステムの現状の報告と情報交換、評価する側、される側、そして英国では外部の試験官が評価が妥当かどうか確認しますが、その外部の試験官も納得できる方法や基準とはどういったものか、よりよい方法、みんなが納得できる方法を模索して問題点を討論したいというものです。


前にも言いましたように、今回の討論の前提は、即興音楽は教えることができる、そして評価ということ自体の是非は問わない、ということですが、しかしどのような観点で、どのように評価すべきかということについては活発な討論を期待したいと思います。


それではまず、私がやっていることを簡単にご紹介したいと思います。私が教えている即興の科目はMusical Collaboration and Improvisationという科目で即興だけではなくて、音楽における協同作業とはどういうものか、というのも含んでいますが、メインは即興です。イングランドの大学は学部は普通3年制ですが、その3年制の「音楽文化」というコースで、学部1年の後期12週間、週1回3時間(講義1時間実技2時間)、ほとんどは音楽文化の学生ですが、他のパフォーマンスコースの学生も履修可能です。ダンスやパフォーマンスアートの学生もいますが、彼らもこの科目をやるときは音楽の即興をやってもらいます。踊りの即興とかはやりません。また後期からの入学も許可されていますので、私が前期に教えているMusic Skillsという、簡単な音楽の理論を扱う科目をやらないでいきなりこの科目から始める学生もいます。


講義の内容は、さまざまなジャンルにおける20世紀21世紀の作曲や即興のテクニックを紹介し、パフォーマンスの中での役割を見ていきます。なぜこのようなことを教えなければいけないかというと、大学に来る前に基本的な西洋芸術音楽の一般常識的知識がない学生がおりますから、そういう学生にとってはこの科目で初めて西洋のアヴァンギャルドに触れるわけです。日本人の私が西洋人の学生に西洋芸術音楽の歴史を教えるというのはおかしなことかもしれませんが、それが現実であります。科目の内容は、週ごとに


・Blues/Rock/Funk


・Electronic Music/Free Improvisation これらは同じ時間にやってしまわないと時間がない


・Collaboration 音楽における協同作業について


・Large Group Workshopというのは去年の学会発足の時にもご紹介しましたけれども、外から有名なミュージシャンを呼んできて、一緒に演奏してもらう。あの時は元ソフト・マシーンのベーシストの故ヒュー・ホッパーを呼んだときのことをご紹介しましたけれども、今年は日本から坂田明さんに来ていただきました。


・Instrumentsというのは、いろんな楽器についてですが、基本的に弦楽器がどういうものか、管楽器がどういうものかわかっていない学生もいますので、実際に楽器を持ってきてデモンストレーションを誰かにやってもらったりします。


・Improvisation and Composition 即興と作曲の関係について


・Music from non-Western Traditions 非西洋音楽における即興。私の教えているコースでは民族音楽学だけを教える科目がないので、こういうところで紹介します。


・Western Art Music: Modernism and Minimalism 西洋芸術音楽、特にモダニズム、アヴァンギャルド、それからミニマリズム。特にミニマリズムはポピュラー音楽から来た学生にはとっつきやすいので、こういうものから西洋芸術音楽に親しんでもらいます。


こういうようなことを講義でやり、あとの2時間はグループにわけてリハーサルのようなことをさせます。評価はパフォーマンスが50%、小論文が50%です。実技関係の科目は全て実技と小論文の両方をやることになっています。このほかに音楽文化コースには理論の科目がたくさんあります。ここでいう「理論」とはいわゆる音楽理論ではなく、文化理論、社会科学の理論、そういったものです。


パフォーマンスの課題は20分間のセットを4-5人のグループでやる。20分間通してでもいいし、いくつかのセクションにわけてもよい。これは今までの経験からちょっと長すぎだと感じていますので、今後は10分以下にしようかと思っています。


それで、その20分間の間にある程度即興をやること。たとえば歌ものみたいなものでもいいんです。いわゆるメインストリームのジャズみたいにテーマがあって、その上で即興するのでもいいし、あるいは完全にフリーでもよい。


論文の方は、自分たちがやったパフォーマンスについて、どのような即興のテクニックを使ったか、自分のグループ内での役割、どのように理論を実践に取り入れたのか、グループの中での力関係、演奏はうまくいったか、などを1500語で、ちゃんとしたアカデミックな小論文として、文献もつけて提出する、というものです。


評価の基準ですけれども、これは私が来たときにはなかったんですね。外部の試験官から評価の基準をはっきり学生に言った方がいいというアドバイスがあったので、私が作りました。英国の評価というのはちょっと変な数字で、70%以上というと、とても良いのです。60%から69%というのはクラス2の1といいまして、かなりいいんです。50%から59%というのはクラス2の2で、まあまあよろしい。40%から49%といいますと、単にパスです。それ以下ですと落第になります。ですから70%以上というのは非常によくできました、ということで、これを達成するには、


・ほとんど即興である

・講義や自分自身の研究によって得られた知識を演奏に生かしている

・音色や質感、構成などに注意を払っている

・ピッチやリズムに工夫がみられる

・グループ内でのコミュニケーションやインターアクションがみられる

・音楽として興味深く、聴いていて面白い


こういったことがよくできていれば70%以上。

60%から69%では、そこまではいっていないけれども、よくできている、

50%から59%では、まあまあだけれども、もっといろいろ発展させるべきことがある、

40%から49%では、どういう意図でやっているのかよくわからない、

この意図ということ、本人の頭にあることが実際できたかどうかというのは英国では非常に重視します。この意図が不明だと良くないんです。それから他の演奏者がやっていることを無視してしまってよくわかってなくてやっていたり、というようであると、ぎりぎりパス、というところです。

落第というのはほとんど即興をやっていない、あるいはやっていないように見える、何もこの科目から得ていない、自分で何も探求したり研究したりしていない。これは非常にまれです。たとえば学生の誤解で歌ものをそのままの形でやってしまって、論文の中にも全く即興に関してのことが書いてない、というような場合で、これは私はまだ一回もそういう学生にあったことはありません。


実際にどういう評価用紙を使ってやっているかというと、これは人文社会科学部共通の実技評価用紙です。一番上のところは科目名などを記入するようになっていて、下のほうはコメントを記入するスペースがあります。その間にいろいろな項目があります。(注、この評価用紙は上記の評価基準とは別のもの)


一番最初に来るのはやはり意図の明確さです。それから構成のための手法の使い方、問題解決能力と判断力、理論的コンセプトが実際に生かされているかどうか、共同作業に貢献したかどうか。 リハーサルの段取りは良かったか、アドバイスをポジティブに取り入れたか、技術向上に努めたか、素材の研究発展に努めたか。 パフォーマンス中の集中力、他のメンバーに注意をはらっていたかどうか、聴衆とのコミュニケーションなど。 これは即興音楽を想定して作られた評価用紙ではないですから、普通の音楽の演奏のほか、ダンスや演劇でも使っていて、余り音楽の評価にそぐわないところもあるわけですけれども、規定の用紙なので、私はこれを使っているんです。それで私はこれをぜひ改善したいと思っているわけです。



若尾: 非常に細かいですねえ。日本の大学はイギリスの大学ほどまだそこまで瀬戸際に来ていないのでこのような評価項目と評価基準を作って明示しながら成績評価するところまで求められてはいませんが、我々の所では評価項目を明示して、百点満点で点数をちゃんとつけてABCDEなるものをつけるということを始めています。さらにこの先にはたぶん第三者の評価、イギリスは前からそうですよね、他の大学の先生が見ていいかどうか、互いにチェックしあうみたいなことをやっていって、そうなるとどうしたらいいだろうか、絶望感があるんですけど、まだ幸いそこまではいってない。


即興という難しいものをいかに制度のなかで生き延びさせるかということ、原さん自身もこんなの嬉しくてやってるわけじゃない(笑)、そういう感じがよくわかって、嬉しい方向っていうのを考えるのは論外だよ、とそのこと何度もおっしゃってるんだけど、やっぱり嬉しい方向考えたいと思うんですよね。でもやっぱり言っちゃあだめなんですけども(笑)。


私も同じような授業やっていますが、即興はいろんな文化があって、こんな音楽がありますみたいなこと、民族音楽みたいなことも教えますし、インチキなインド音楽みたいなことも教えますし、ガムランもこうなってますよみたいなことや、いわゆるドレミの音楽の中で、モードを使ったものから順に、ハーモニックな進行ではこうなる、ジャズではこうなる、次にモードジャズの時代が来ました、マイルス・デイヴィスがこんなことやりました、コルトレーンはこんなふうにやってます、最後にはぶっこわれたフリージャズっていうのができました、フリージャズのあとにはこうなりまして、みたいなことをやって、やがてデレク・ベイリーが、というような歴史みたいのはやります。なので、それについての試験はやります。


それとあとは、やらせてみて点をつけるんですけど、さっきみたいな尺度で…今度やってみますね(笑)。もちろんさっきクリシェとクリエイティヴィティという話をしていてクリシェの部分、文化の部分っていうのは見るんですけど、果敢に挑戦していって新しいことをやろうっていうインテンションがどのくらいあるか、面白いかどうか、というようなことで、でも面白いかどうかというのを原さんが作った項目の中に入れてしまうと、大学としてはなんだこれはということになるんじゃないか、と。



コークウェル: 私は入れたんですよ。もともとはなかったんですが、科目ガイドの中でこういうのをやると70点以上になりますよ、という項目の中に「聴いていて面白いか」っていうのを入れたんです。



若尾: あっ、そうですか、それいいですよね。それを誰が判断するかというと…



コークウェル: 私(笑)。



若尾: 私の場合も私です(笑)。オレがいいといったら、いい、みたいな。悪いといったら悪い。これを客観評価にするにはどういう方法があるかといったら今のところなさそうな気がします。議論するとしたらその辺のところでしょうか。


もうひとつは、一番最初にも言いましたように、即興というのはタイム・プロセッシングであると思っているので、踊ってもいいし、目の前で何か行為を行うというのでもいいのですが、そんなことでは全く授業は成り立たないので、大学という厄介な制度の中では、一種ここまでを何々とするという決まりごとのなかでやっていくということがあります。それと、どこまで自由になれるかということの余地をどう残すかというところのせめぎあいということになるのではないかと思います。原さんが非常に困難であるとおっしゃっていたのは、非常に多文化的だということですね、ヒップホップあり、フリーあり、これがたとえばバークレー・スクールみたいなところで、みんなが同じバークレー・メソッドっていう一巻から何巻まであるのを、今度は何巻目までの試験をやる、って言ったら、ロクリアンのモードのフレーズどれだけ覚えていてどれだけうまくやったら何点、こういうのならはっきりしてますよね。しかしこの場合は多文化で、ひとつのせまい観点での評価基準っていうのはないわけで、そうすると、「面白さ」になっちゃう。というふうなところでその辺どうするか、結論らしきものはないんですけど。



寺内:科目の名称は?



若尾:それほど凝った名前ではなくて「即興演奏」と言います。



コークウェル: 今の若尾先生のお話からちょっと補足させていただきます。私のところでは、といいますか、イギリスではだいたいそうなんですけれども、ダブル・マーキングといいまして、公正を期すために、必ず二人の講師が採点しなければいけないんです。さっき「誰が面白いというか」というときに「私」とか言っちゃいましたけど、本当はそうじゃなくって、私ともう一人先生がおりまして、二人が必ず同席します。それで別々に採点して、終わったあとで点をつきあわせます。これが驚いたことに、そんなに意見は分かれないんですね。今まで何人かの人とやりましたけど、自分が好きなジャンルじゃなくっても、「これはいい演奏だ」とかわかるものなんです。ぜんぜんつまらないのは誰が聴いてもつまんない。学生もやっててわかる。見てる学生もわかってるようで、「面白さ」というのは意外に普遍的なものなのかもしれない、ただそれを数量化するのは難しいかもしれませんけど。


論文の方は全部二人が読むというわけにはいかないので、サンプルをとって、たとえば50あったらそのうち5つはもう一人の先生も読んで、採点が妥当かどうかをチェックします。


それでは三宅さんにお話をうかがいます。



三宅: 私は3歳から70代ぐらいまでの年齢のピアノ、即興演奏、作曲のレッスンを行っています。レッスンで即興演奏を取り入れる目的というのは、音楽レッスンの導入のときにいきなりピアノのレッスンから始まるのではなく、音楽や楽器に対して抵抗なく自由になる、即興演奏を楽しめるようにしたい、フレーズやリズム・音色に敏感になる、作曲との関連性、さまざまなタイプの音楽・楽器に触れるなど。これらは普通のピアノのレッスンではなかなか難しいので、そういうような目的のために即興演奏を取り入れています。


それで評価の問題なのですが、本当はふだんから皆さんも無意識または意識的に評価を行っているのではないかと思うのです。即興演奏を自分がやったり人がやったりしたのを聴いて、なんか面白かったとか、良かったとか、無意識に心の中で感じているのですね。それを私の場合は即興演奏をするときに自分にフィードバックして次に生かそうとか、うまく使えばレッスンで効果を上げることができるのじゃないかな、って考えています。評価しようとしているわけではないのですが、実際には、点数をつけるというかたちではない評価のしかたは行っております。


評価の目的なのですが、レッスンでの即興演奏を効果的に行うため、つまり学習効果を高めるための評価、評価をすることによって子供たちに感想を伝えるというのが一番近いと思います。例として、良かったところを褒める・認めるとか、こうしたらもっと面白くなるんじゃないかなといったようなアドバイスみたいなことをすると、生徒が音楽的工夫を更にしようとする。ちょっとマンネリ化してきた時(マンネリも悪くはなく、それを追求していったらまた面白いものが生まれることもあるのですけれど)、何か行き詰っていると時に、マンネリを打破しようとする手助けになったり、自分で工夫したりするようになる。


レッスンでの即興演奏っていうのはある意味終わりがないんですね。何十分もひたすら弾き続けたりしている生徒もいたりします。そういったときに構成が無くなるといえば無くなるのですね。無い演奏も良いんですよ。まとめる面白さというものも知ってほしい。先日生徒のコンサートで3歳の女の子と私で即興演奏をしました。それを見た他の生徒さんたちが、即興演奏っていうのは、コンサートの1プログラムとして成り立つんだというように意識が変わったんですね。次のレッスンで即興演奏をした時に1曲であるかのような即興演奏をした子が何人もいました。そういうふうに意識を持つこともできる。もちろん気ままにのんびりと面白さを追求していく演奏の楽しさも彼らは知っているし、それも私はすごく大事なことだと思っています。評価により自分の演奏が自分が面白いと思う方向へ変化していく手助けになるのではないかと考えています。


実際にどういう評価をしていくかというと、点数化はしていないんですけれども、さっき原さんがおっしゃった項目っていうのは無関連ではないんですね。褒める部分、それからアドバイスする部分、うまくいかなかった部分っていうのはある程度、原さんの項目に関係する部分があると思います。


それから本人の自己評価。これを必ず尋ねます。「どうだった?」で単純に「楽しかった」とか「良かった」と言う子もいますし、「何かちょっと・・・」みたいな時は、「どういうところがうまくいかなかった?」みたいな話もします。


私は、即興演奏は全部ある意味「正しい」と思っているので、「良くなかった」、というようなことは言わないですし、本人がそう言った時には「どういうところ?」みたいに追求して前向きな方向に話をもっていきます。


本人が自己評価したのに対して私が心の中で反応することがあるんです。「良かった」と言われて「えっ?」みたいに思う時もありますし、「悪かった」って言われて、「えっ、そんなことないよ、すごく面白かったよ」と思うこともあります。それはひとつの私の評価だと思っています。「良かった」と言われて「えっ?」と思った時には「どんな点が?」などと突っ込んで話をして「なるほど」と思わせられたり、逆に本人が「良くなかった」と言っている時には理由を尋ねて、「良かったところ」を伝えたりもします。そのことで、私自身も生徒も新たな視点を持つことができます。


他には、観客の評価ですね。兄弟が一緒にレッスンに来ていたり、ご父兄の方や次のレッスンを待っている人なんかにも感想を聞きます。そうすると評価が客観的になってくるんですね。私は客観というのは主観の集まりだと思っていて、主観の多数決じゃないんですけれども、そういう部分が客観性につながって、今度は演奏が聴衆を意識したものになっていくと思います。


それではどんな基準で具体的に評価するかというと、さっきの項目にも関係あるのですけど、まず、「良い悪い」はない。だから「良い悪い」の基準はないと思っています。主観的客観的に「なんか、すごく、良かった」と思っている人が多い、っていうようなことはある、と思っています。それで、具体的な基準なんですけど、「聴いていて緊張感が持続する、しない」。これもするからいい、しないから悪い、という問題ではないんですけれど、1つの基準としています。別に良い悪いではなくて、「こうだった」ということを本人に伝えることによって、本人がまた色々と考えるということですね。もちろん私は緊張感が持続しない演奏で面白い即興演奏はたくさんあると思っています。

それから面白いアイデアが含まれている、いない。

演奏を楽しんでいるか。嫌々やっているか。もがきながら頑張っているか。

新しいことに挑戦している。

曖昧な言葉ですが、センスが良いなあ、と思うこともあったりします。

魅力的なところ、面白いところがある。

集中できている。


演奏のどういう部分を評価するか。全体を評価するのか、部分を評価するのか。

部分的には面白いところはないのだけれども、何か全体がまとまっていた演奏だったとか、全体的にはばらばらだけれども、局所はすごく面白かったとか、最初が良かったとか終わり方が良かったとか。


レッスンで毎回即興演奏をするのですが、前とどう違うかというような話をすることもあります。まだ上手くできないけれども新しいことを始めようとしている時には、こんなことをしたのは初めてだねとか。前とよく似た演奏で惰性が感じられる、私がそう感じたという評価で新しいアイデアを提案したり、もう一回やってみようかと言って本人が新しいやり方を見つけられるようにサポートしたりすることもあります。


誰が評価するか。

指導者であったり、本人だったり、共演者だったり、聴衆であったり、その混合が評価するというふうに捉えています。


他には点数やメッセージではなく形にするという評価方法があると思っています。ひとつはmp3のレコーダーでレコーディングする。レコーディングされたということで即興が評価されたと感じるんですね。それで面白かったもの、気に入ったものをCDにするとか。それから面白かったものを私が楽譜に書いてあげて、「今やったのはこういう書き方もあるんだよ、これ見たらもう一回再現できるよ。」と楽譜にしてあげることで、子供は評価された、認められたと感じるし、自分の演奏を客観視することができる。それから先ほども言いましたけれど、コンサートでの1プログラムとしての価値を感じるなど。


他には、他ジャンルとのコラボレーションというのがあります。例えば私が演奏して生徒が踊ったり生徒が演奏して私が踊ったりするんですね。それで踊りやすさが違ったりとか、弾きやすさが違ったりとか、お互いに情報を交換することによって他のジャンルから見た評価、また、それを見た聴衆(お母さんが多いのですけれど)からの評価、みたいなものもあったりします。


グループ演奏での評価では、周りの音をよく聴いていたかどうか、聴くことも大事なんですけど、聴かないことも大事な場合もあるので、イニシアチブをとって合わせたり、わざと合わせず独自性を貫いたり、他の演奏者との対比性を作ったりしていたとか、楽器選びが良かったとか、音色が良かったとか、音楽全体のことで気を配っていたかどうかなど良いところがあれば言うようにしています。


私は点数化していないので、点数化ということについてこれは提案なのですが、さまざまな評価の視点を作るということは可能なのではないかと思います。評価者について、演奏者、共演者、聴衆、指導者など多数による混合総合評価システムを作るとか、評価基準についても、各項目の点数を重ねて総合的に評価するだけではなく、非常に良いという項目にすごく偏った大きい点数を与えることによって、平均的に良かった人が良い点数というのではなく、何かすごく良い部分があった人が良い点数となることで、その人の個性や音楽性が生かされるような評価システムになるのじゃないかな、と思っています。



それから評価項目について、本人にいくつかの中から選択させるというのも一つの提案です。「私はここを見てほしいんだ」という項目を本人に選ばせることで、より学習効果が上がるのではないか、と考えます。



コークウェル: ありがとうございました。今、三宅さんのお話を聞いていて非常に共感したのは、私は大学で科目として教えている以外に一般向けのワークショップもしていて、その時の評価というのはまさに今、三宅さんがおっしゃったような、要するにフィードバックですよね。ワークショップというのは別に科目として成立しなければいけないから点数をつけなければいけないというようなことはないわけですから、ワークショップの参加者が自分で上達するように、こちらがどういうふうに受け取ったかということを返してあげて、ただもう参加者の上達を願ってフィードバックをするわけで、その面で今非常に共感しました。


最後の方で本人が評価されたいところを選ぶ、というのは、現実に大学などでは難しいかと思いますが、実は一番最近教えた学生の中で、プロデューサー・タイプの学生で、自分は楽器を演奏しないけれども演奏することを強要されたわけだから、自分の音楽性の中で最もいいところを出すことができなかったというようなことを論文の中で書いていたんです。私は楽器ができなくてもできる範囲で創造性を現すことができると信じているんですれども、中には頭が固く偏っていて、楽器ができなければ即興ができないと思い込んでいる学生がいるわけです。そういう学生にとってはどういうところを見てほしいかということをあらかじめ言っておくことができれば、もっとその学生は正当に評価されたと思ったのかな、と思います。


それではここで寺内さんにお話を伺いたいと思います。寺内さんと沼田さんは現在特に評価をする立場にはないのですが、評価の問題にご興味がおありということで、参加していただきました。



寺内: 今僕は評価をするという立場にはないのですが、以前小学校の非常勤講師で子どもたちに音楽を教えていました。そこでは、通知表が最終的にはあるんですけれども、普段の授業では先ほど三宅さんが言っていたような言葉による評価をしていました。評価が今後の学習のためにあるという考えに基づいて、日頃の学習を言葉でフィードバックするということをずっとやっていたと思います。ところで、今、三宅さんが言われていた、評価するポイントを自分で選ぶっていう発想はとても興味深いと思っています。評価って、目的・ねらいと常にペアであるじゃないですか。評価するポイントを自分で選ぶことは、目的・ねらいを自分で設定するっていうことにつながると思うんですよね。そしてそれは、音楽的な意図をちゃんと意識することにもつながるのではないかと思います。


それから、昔「詩のボクシング」というイベントに参加したことがありました。これは、ボクシングのリングに見立てたステージで、青コーナーと赤コーナーと二つに分かれて一人づつ自分で書いた詩を朗読し、審査員が手を上げてその人数で勝ち負けが決まるというゲームなんです。ぼくが関心を持ったのが、審査員は詩人じゃなくてもいいということでした。その辺のおばさんでもいいし、その辺の子どもでもいい。しかも基準というものがないんです。いろんな人が自分で評価基準を決めて評価する。全く素人の人が、何となく赤コーナーが良かったとか青コーナーが良かったとかを決めるわけですけれども、そういうのもけっこう面白いと思います。そういうのもありだなあ、と思いました。



三宅: 実は私、その「詩のボクシング」の会場にいまして、「審査員になりたい人」というのに手を挙げて審査員になりました。私は全く詩に詳しくなかったのですが、その時何を基準にしたかというと、ちょっとさっき言いました、「緊張感の持続」なんですね。一人3分の持ち時間で朗読をどう組み立てるか、聞いてる人が引き込まれて緊張感が持続する方に、札を挙げてました。もしかしたら即興の評価にも関係あるかもしれないな、と思います。



コークウェル: それでは沼田さんお願いいたします。



沼田: 私はもともと音楽療法を研究して実践したりしているんですけども、音楽療法の授業の中で即興を教育するということは、部分的にやりますが、それによって授業の評価を定めてしまうということは経験がありません。しかし、今音楽療法以外にアート・マネージメントの領域に関わっていまして、どのような芸術に対してどのような予算やプロモーションが必要かということを非常に考えさせられるプロジェクトにちょっと関わったりしているんですが、そういうことをやっていますと、評価というのが問題になってきます。クラシック音楽や伝統音楽ならばある程度評価というものが大体定まってきていますが、私は特にコミュニティ音楽というものに関わっていまして、そういったこれからの芸術というか新しい、評価が定まっていないようなものに対してお金をもってこようとすると、それに対する評価作りが必要になり、しかしそれは非常に難しい問題だなあと日々感じているところなんですね。


それで、今の議論での評価と言うのは、そこからちょっと外れて「授業」という枠組みのことになるかと思うんですが、そういう私の日々考えていることから考えてみますと、制度、つまり大学の授業というものがあって、その制度の維持のために評価が必要である、ということですよね。そうするとやっぱり誰が誰に対して評価するのかとか、何でそれが必要なのかとか、関係性の中で決まってくるのかなあ、と思うんです。つまり、授業の中で評価するということになると、生徒と先生や、学校という組織としての意図と先生個人の意図といった関係の中で考えていく必要があるのかなあ、と思うんです。そうなるとそこに、先生、生徒、とか、対話が生まれる可能性が出てくると思うんですよね。先生側が生徒を何らかの基準で評価するわけですけど、先ほどちょっと面白いなと思ったのは、正当な評価をしてもらえなかったと言ったプロデューサータイプの学生、そこにまさにその評価における先生-生徒間のせめぎあいみたいなものがあるのかなあ、と思いました。そこに評価を変えなきゃいけなくなるようなものがあるのかもしれない、と思ったりもするんですよね。


文化というのを見てみると、批評家とクリエイターとの対話によって進む、というようなことがあると思いますので、多数決的なものは私はちょっと違うのかなあというふうに思うんですね。評価する際どの点をポイントとするかというのはまさに評価者が文化をつくっていく側面と、クリエイターがつくっていくという側面の拮抗した両面があり、その対話で進んでいくことなのかなあ、というふうに感じました。




コークウェル: 今のコメントから補足させていただきます。さきほど私が触れました正当な評価をされていないと感じた学生がいたというのは、もうちょっと正確に言いますと、正当な評価をされていないというよりは、自分の音楽性がフルに生かせないお題だったというふうに感じていたわけですね。自分は楽器を演奏する人間じゃないからということで。



沼田: そうなると、即興演奏という枠組みを拡げて考えるということは。



コークウェル: そこに至る前にもうひとつ実は問題があって、この授業がこのコースにとって必修科目であるということなんです。つまり一般の世の中では即興演奏したくない人はしなくたっていいわけですよ、別に。興味がなければ何の問題もないわけです。ところが必修科目なので、これからミュージシャンになって即興を絶対しないと決めている人もやらなくちゃいけないということで、いやいややっている学生もいるわけです。自分でやっている音楽が全部打ち込みのダンスミュージックで、全く即興する余地というものがひとつもないというのを今までの人生でやってきた学生も、そうではなくてもうちょっとゆるくなりなさいとか言われて即興をやらなくちゃいけない、つまり、そういった学生にとっては世界観自体がチャレンジされているわけなんですよね。私は音楽教育としてそういう凝り固まった考えをゆさぶるのはいいことだと思うんですけど、凝り固まっちゃった考え、人間の信念というものを直すというのは非常に難しいことですからね。人が何を言っても絶対変わらないというのもありますから、そういうのと折り合っていかなきゃならない。



それで、今沼田さんがおっしゃった、即興というものの枠組みを拡げなくちゃいけないのではないかということですけれども、それは私の科目では拡げられるだけ拡げています。何をやっても良い、ジャンル限定なし、100パーセント即興でなくてもよい、つまり歌ものであってもよい、それからこれは勧めていないんですけど、打ち込みをやったバッキングトラックがあって、その上でなにかするというのでもよい。ただし、これは即興をする余裕が減ってしまうわけですから、不利になるよとは言います。教えていくに従って、私が予想だにしていなかった状況というのが出てきて、それは臨機応変にしなければならないんですけれども、即興という枠組みを拡げるというのは今後ももっと考えていきたいことだと思います。



寺内: 学生たちの興味や関心にあわせて評価の観点の比重を変えるといった柔軟な対応はしていますか? 例えば、将来音楽の先生になりたいという学生、プロデューサーになりたいという学生、演奏家になりたいという学生、それぞれ違うと思うんですけど。



コークウェル: 実はグループで演奏させているので、実技は基本的にはグループ単位の評価なんですね。グループに5人学生がいたら、5人全員が同じ点数というのが原則なんです。もちろん明らかにひとりだけさぼっているのがいるとかいう場合は考慮することがありますけれども。ですから、各学生の志向性まで考えて点数を変えるというところまできめ細かい評価はできないです。


また、一年生の段階で将来何がやりたいかはっきりわかっている学生もいますけど、わかっていないのも多いですから、現実問題としてそこまで考慮に入れるのは難しいですね。例えば教員養成コースとか音楽大学の演奏専門のコースとかならやりやすいんでしょうけど、いろいろ混ざっているところでは、本当はそうやってきめ細かい対応がしてあげられればいいんでしょうけど、こちらも把握しきれてないというのもありますし。一応クラスサイズは大体30人ぐらいなんです。それを2つに分けて、私ともうひとりの先生がそれぞれ面倒見ているわけですが、15人でもなかなか把握しきれないですね。



寺内: 二人の先生が採点してほとんど意見が違わないということですが、違ったことはありますか? 違ったときにはどういうふうに折り合いをつけますか?



コークウェル: はい、そういうことはたまにあります。その最大の理由は、自分がそのグループの面倒を見てきた場合、その進歩の過程を知っているがために、最初から比べたらものすごい進歩だとかのバイアスがかかるということなんです。そういう場合はお互いにその理由を説明して、納得したら点数の合意をします。そういう過程はともかくとしてもあの演奏ではちょっと、とかそういうことがあったら、合意するまでディスカッションします。大体それで合意に至りますが、どうしてもという場合は足して2で割りますが、そういうことはまずないですね。ですから、純粋に演奏だけを見て意見がわかれちゃうっていうのはあんまりないんじゃないかと思いますね。



寺内: 打ち込みをバックにすると即興の割合が減るというのと同じように、音楽的な意図をはっきり決めてしまうことによって即興的な要素が減る場合がありますよね。例えば10分間の演奏で一個の音だけ使ってやろうというグループがあったとしたら、その5人は1個の音だけしか演奏しないわけで、即興的な部分は減ると思うんですが、そういうふうなことに対してはどういう評価をするのかな、と。



コークウェル: これはいろんな見方があると思いますが、私は意図がはっきりしていた方が評価はしやすいという見方です。即興だけではなく、私が教えているもうひとつの科目ではすでにある曲のアレンジが実技のお題なんですが、これもどういう意図でアレンジをしたかを重視します。頭の中にあることと、音として出てきたものができるだけ一致している方が音楽の技術として評価できるという観点でやっています。即興でも、手先だけではなくて、自動演奏ではなくて、本人がどういうつもりでやったのか自覚しているということが評価の大切なところだと思っているんです。大学の出来合いの評価用紙でもそうですけれども、意図が明確に現れているというのが大事だと思っているんです。


1個だけの音を使ってやろうと言ってそれだけで演奏した場合、もしそれでものすごく面白い演奏をしたら、それはすごいと思いますよ。それは非常に評価できるんじゃないか。もっともそんなラジカルなことを考える学生もいないですけどね。そういう学生がいてほしいですね。ひとつだけ音選んで、どういうタイミングで、どういう音色で、どういうボリュームで、どういうインターアクションがあって、ってそれを一個の音でやったら、70点以上いきますよ、それは。ぜひやっていただきたいんですけど、そういう学生はちょっといないですね。


打ち込みのバッキングトラックを使ってやる場合にしても、できる人の場合ならそれだって面白い即興ができるんですけど、いかんせんそこまでいっている学生はなかなかいないですから、不利になるよ、と言うわけです。


それでは会場の方からご質問とかコメントを受けたいと思います。



山田: たぶんすごく難しい問題だろうなあと思って聞いていました。即興をこういうシステムで評価するとなると、あるパラメータに対して良い悪いを言わなくちゃいけない、っていうことがあると思うんです。でも悪い、って言う場合に、即興ってそういうもんじゃないよなあ、みたいなことを思って迷ったり悩んでしまうという構造があるのかと思いました。そうやって考えると、こういうシステムの場合、授業自体の目的を、例えば即興演奏を通じた多文化様式の創出とか、限定した方が評価しやすい、という印象を持ちました。


『評価』という時点で、何かに対していい悪いを言わなくてはいけないっていうことについてどう思われますか。



コークウェル: 悪いというのは言う必要はないんです。非常にいい、そこまで「いい」ところまで行っていない、という感じですね。で、全然だめというのは、即興をやっていないということですね。それと、講義で得た知識や自分で聴いたもの、研究したものから何も学んでいないとか、ですね。


私の悩みというのは、いろんなジャンルを同時に評価しなければならないこと、それから楽器ができるできないの差が激しい、即興ということが全然わかっていないとか、やりたくもないという人間も相手にしているということ、即興をさせるというところから始まって12週間で完結させなければならない。即興をやりたくて来ている人の場合は評価はそれほど大変ではないだろうし、それこそプロとして即興をやりたいとかいう人の場合にはそれは良くない、とかいうこともありかもしれませんね。ただこういう教育の場で「悪い即興」というのはないと思います。



若尾: いろいろやっててだんだん面白くなってきたんですけど。やっぱり即興っていうのは決め事があって、決まりの上でどうそれが実現されてるかっていうのが基本ですよね。そうでない即興の場合に困ったってことが多いわけですよね。様式があったらその様式通りどれだけできたか。それだけの問題です。それで多様式の中でどうやるか。でもね、僕は聞いてたら、原さんも、寺内さんも、三宅さんも、何となく様式持ってるんだと思うんです。「これがいいものだ」っていうふうな価値観が絶対あるんです。「いいわるい」って判断するんですもん。だから、それは曖昧にしないで、約束事が全くない、いいもわるいもない、っていうのは実は本当は嘘だと思う。で、自分はこういうものがいいと思ってるっていうことを明確化した方が多分いいと僕は思います。



コークウェル: 様式というか、美意識みたいなことですよね?



若尾: デレク・ベイリーがいわゆるノンイディオマティックって言葉を使ってて、これは何でもありだよ、その中のネゴシエーションで成り立つんだよ、って「フリー」、って言うんですけど、じゃ自由か、っていうと、絶対デレク・ベイリーは「これがいい」というものをやってるんですよ。音の構築にしても時間の流れにしても。もし授業でやるんだったら、私はこれがいいと思ってますよ、ということを明確化した方がわかりやすいんじゃないかしら。やりにくいことだろうけれど、いろんな音楽があって一緒にやる、そしたらこんなのがいい、と僕は思ってます、もちろん他の価値観もありますよ、と。でも授業者としてはこれがいいと思ってます、ってことはあったほうがいいと思ってます。



コークウェル: おそらく私が何度も言っている「意図の明快化」ということがそれに近いと思うのは、本人がジャンルを明快に言ってくれればこちらも判断のしようがあるわけですね。さっきもお話にあったようにバークレーメソッドでやるならそういう様式があるわけですからそれで判断もつくと。しかし、ラップにおけるインプロヴァイゼイションの様式とかが、そこまで確立していないから、難しいということもあるかもしれませんし、ジャンルが固定化していって、そのジャンルの中での即興の様式というのができていけばやりやすいのかなという気もします。



若尾: CMFというものをやってまして、そこでいろんな世界的なインプロヴァイザーに講師に来てやってもらってるんですけど、そこでみんなのまわりでコメントしてもらうんですね。いろいろな批評もする。言わない人もいるし比較的明確に言う人もいる。ある時、ジョエル・レアンドルが「それはだめだ、お前は音を聴いてない」とか、さまざまな人にさまざまなことを言うんですけど、腹立てる人も必ずいます。それはジョエルなりに「これがいい」があるからなんですね。いろんなインプロヴァイザーから学ぶことは何かっていうと、そこなんですよ。言ってみれば。「これはいい」ってこの人が言ってるのはどこなんだろう。それはひとつの価値観だろうし、それをわかれば自分の足しになるだろう、ってところ。



三宅: レベルが違う演奏者の評価の問題ですけど。私の生徒もピアノや楽器の演奏技術のレベルが全然違います。技術のある人が良い即興演奏をするかというと全くそういうことはなくて、むしろあんまり練習をしてこない人の方が、すごく面白い即興演奏をしたりします。楽器演奏技術のレベルに全く関係なく、何を基準に評価するかということは、今日皆さん話された色々なことがあると思うのですけれど、技術は関係ないということを非常に強く私は言いたいと思います。



コークウェル: 本当に技術は関係ないんですけれども、学生の思い込みがあるんですよね。特にプロデューサー系の学生が集まっちゃったりしたグループだと、自分たちは不利だとか言い張ったりするんですけど、そういうグループの方が結果的にいい点取ることも多いんですけど、やってる方の思い込みを打破するというのは非常に難しいです。


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