日本音楽即興学会(JASMIM)2012大会報告


【企画】
沼田里衣 / Rii NUMATA(神戸大学大学院国際文化学研究科異文化研究交流センター協力研究員)

【話題提供者】
音遊びの会のメンバー:鎌田牧子(舞踏家)、坂口智基・政広、光永惟行(音楽家)、三宅博子(慶應義塾大学先導研究センター共同研究員)、宮崎百々花・も子、森本アリ(音楽家)
コメンテーター:中村美亜(東京芸術大学音楽学部助教)

【要旨(大会抄録記載)】
このラウンドテーブルは、知的障害者とその保護者、音楽家、舞踊家、音楽療法家によるコミュニティ「音遊びの会」において、即興表現がどのように機能しているのかについて、メンバーを交えてフロアーと議論しようというものである。


音遊びの会には、16名の自閉症やダウン症等の知的障害者とアーティストが参加し、即興演奏を中心とした継続したワークショップと公演活動を行っている。活動の目的は、当初、「新しい音楽表現を開拓すること」としたが、新しい音楽表現とは何か、あるいはどのようにしたら開拓できるのかは明確ではなく、実際は無目的に進んでいるに近い。応募者は、2010年度より科研費の助成を得てメンバーに個別のインタビューを実施し、その内容を分析することによりそれぞれのメンバーにとっての表現の意味を探ってきた。そうするなかで、個々の参加動機には、「教育」、「居場所作り」、「出会い」、「演奏や共演」、「現象や出来事を楽しむ」など様々なものがあり、それらは細かくみると互いに相反するものもあるということが明らかになってきた。また、こうした状況が生起している理由として、音楽表現そのものに対して、特定の音楽的側面やあり方を評価することは難しいという意見が多い一方で、進行役や観客も含めた場全体を楽しむ対象としている場合が多いこと、またその現象の面白さが生起するために、既にある価値観でないものが突発的に生まれた場合にそれも認めていこうとする姿勢が共有されているのではないか、ということが明らかになってきた。しかし、音遊びの会では演奏することが中心であり、皆でこれらのことについて互いに言葉で話し合うことはほとんどない。そのため、他のメンバーがなぜこの会に参加しているのかよくわからないと言う意見も聞かれた。


こうした状況を踏まえて、本ラウンドテーブルでは、改めてメンバーの数人が顔を合わせて参加動機や互いの価値観を確認することにより、即興表現が音遊びの会というコミュニティにおいてどのように機能しているのかを考えてみたい。なお、コメンテーターに音楽学者の中村美亜氏を迎え、客観的な立場から意見をいただくことにより、一つの音楽現象に対する視点の差異や共通項をより明確にしたいと考えている。


【報告】




※以下の記号で話者を区別しています。
■企画沼田里衣
●コメンテーター中村美亜
★音遊びの会メンバー(話題提供者として来た人も当日参加メンバーも同じ記号で表記。当日参加メンバー:青木しおり・母、金澤里紗・母、寺尾孝太、中島香織、藤本優・母、本間知子)
☆フロア


■沼田里衣:まず、音遊びの会についてちょっとお話しします。音遊びの会は、2005年9月に始まり、神戸大学の音楽棟を主に使って月二回のワークショップと年に3回程度の公演をしています。メンバーは、16人の知的障害者とアーティストです。アーティストのなかにはプロフェッショナルな大友さん、千野さん、梅田さんという方々と、地元の色々なミュージシャンも来てくれています。神戸大学学生が運営を担い、ケア担当の方も来てくれています。今日はまずは、演奏を聴いていただき、進行について話したいと思います。 では演奏お願いします。


<音遊びの会のメンバーによる演奏>






■沼田:ありがとうございました。今日の進行について説明したいと思います。今日は、コメンテーターとして、音楽学者の中村美亜さんをお招きしています。よろしくお願いします。それから、音遊びの会を一緒に運営していただいている音楽家の森本アリさんと、ミュージシャンであり記録係として関わってくれている光永君、今は東京で遠いのですが初期には運営のメンバーだった三宅博子さん、ダンサーの鎌田牧子さん、宮崎百々花ちゃんとお母さん、坂口智基君親子のメンバーです。
では、まず要旨に書いた本日のテーマについて簡単にお話しし、それから中村さんにバトンタッチしてファシリテートをお願いし、議論を進めていただこうと思っています。最後に若尾先生にコメントをいただければ、と思っています。
音遊びの会を始めた当初、目的として「即興音楽を通して、新しい音楽表現を開拓すること」を掲げていました。「即興演奏」ということと「新しい音楽表現」、この二つを掲げていたのです。その理由は、障害は音楽をするというと、「効果は何なのですか」という福祉的な価値観で容易に捉えられてしまうということがあったので、意図的にそれを回避しようと考えたのでした。そして、そのために、より音楽に焦点に当てた活動をして行きたい、という意図もありました。だから福祉的な取材は断ったこともありましたし、積極的に色々なアーティストと共演しながら、より音楽の側面に注目が当たるようにしてきたのです。
こうして目的を掲げていたのですが、当初のメンバー内での具体的な大きな問題は、「共演は可能なのか」、「私たちは一緒に舞台を出来るのだろうか」ということでした。しかし、2005年から約7年経ち、新しく関わってもらう人以外はその問題はほとんどなくなりました。そうなってくると、今度は「どうしたら内容を面白くすることが出来るか」という内容の方に焦点が当たってきたのでは、と最近は思っています。そこで私は、「どのような目的で来ているのだろう」、「音遊びの会をどのようなものと捉えてきているのだろう」ということが気になり、インタビューしてみようと考えました。すると、意外にも教育目的で来ていたり、しかし、そういった面では不都合な面もあったり、音楽的な良さは全く分からない、という人がいたり、あるいは、音楽だけではなく、その場全体が面白いんだ、とか、自由で何でも出来るから、など、色々な目的があることが分かりました。
しかし、これは、私が一対一でインタビューをして聞き出したことであり、私たちのグループ内ではほとんど話し合うことはないんです。そこで、実際に皆さんがどう思っているのか、音楽する中で音楽をどのように捉えているのか、ということを今日は話しながら、またフロアと意見交換しながらそういったことを考えていけたら、と思っています。
ということで、では、中村さんお願いします。




●中村美亜:私は今日東京から先ほどやって来ました。音遊びの会の映像は何回か見せていただいたのですが、生で聞いたのは今日が初めてです。とても新鮮な体験をして、今ここに座っています。最初にちょっとだけ沼田さんに質問をして、それから皆さんにお話を伺っていこうと思っています。まず沼田さん、音遊びの会に入りたいって言う人が来ると、最初に何をするんですか?
■沼田:ええと、人によって違って、ミュージシャンは最初に自己紹介的にソロ演奏をしていただきます。それは、その人が音としてどういう人なのかを紹介していただく意味でお願いしています。その後に、ワークショップでは一緒にセッションを色々組んで、デュオとか小編成をやっていきます。
●中村:ワークショップはどういう形なのですか?
■沼田:あ、さっきの続きですが、子どもたちが初めて来た時は、様子を見ながら進行して行く、という即興的な進行になっていると思います。坂口さんは途中から入ってきたメンバーで、比較的新しいメンバーですが、どんな風だったか覚えていますか?
★坂口(父):最初は妻が連れてきて、しばらくして僕が連れて来るようになったという状態で、その時はもうだいたい馴染んでいるという状態だった。たぶん、子ども自身は特に動じないで普通に入ってきて、学校の音楽と同じように太鼓があるから叩こうとか、ピアノがあるから弾こうとか言うように、普通に入ってきたように思う。
■中村:ワークショップ、音楽のワークショップというと、こういう風にやりましょうといって、みんなでリズムの練習をするとか、楽器の練習をすると思いがちなんですが、何もしないって言うのが事実なんですか?
★森本アリ:月に二回ここでやっているんですが、基本的に沼田さんが進行役なんですが、進行役が割と変わるんですね、今日は誰にお願いしようとか、こんなことしてみようとか。それで、7年もすると色んな局面が出てきていて、大編成ばっかりやろうとか、ソロばっかりとか小編成やろうとかから、お母さんの誰かが仕切ってくじ引きで組み合わせを決めようとか、男子だけ、女子だけ、など、色んな年齢で分けようとか、あらゆる組合せを試していて、基本的に即興でやっているんです。でも、即興だけでもなく、ちょっと図形楽譜とか、作曲ものもやったりも、していないこともない。
■中村:私は元々オーソドックスな音楽研究から始めたのですが、最近おもしろいと思うのは、音楽と一口に言っても、現場でやっていることは、とても多種多様だ、ということなんですね。たとえば、音楽をしながら人と一緒にいることが好きだったり、音楽をしながらなんとか自分が世界とつながっていることを確認するということがあったり。私なんか小学校、中学校の時になんでそんなに音楽を一生懸命やっていたかと思うと、音楽がかろうじて世界とつながるツールだったからのような気がするんですよね。そういうこともあるし、それから、分かり合えなくても、とにかく一緒にやっていることが快感だったり。いろいろあると思うんですよね。今、みなさんにご意見をお伺いたいと思うのは、「音楽」というのはちょっと置いておいて、「みんなと一緒に演奏している時に、何をやっているか、考えているのか?」ということです。特に、その中でも、「一人で演奏するだけじゃなくて、この場で、みんなで演奏するということがどういうことなのか?」、「一人でする時とどのいうふうに違うのか?」ということをお聞きしたいと思います。みんなと一緒に音楽するのって、一人で音楽するのとどう違いますか?
★光永惟行:音遊びの会で、ですよね。一人ではあまりやらないのですが、音遊びの会でやる時は、例えば藤本さん、偉大な音楽家の藤本さんに負けないように、目立つ。いかにして目立つか。大きい音を出したらいいというものじゃないから。
●中村:藤本さんよりもなんとか目立ちたい?
★光永:はい、でも無理ですね、今の所。
■沼田:あと、聞いていないということも言っていましたね。
★光永:はい、場合によりますけど。聞かないように、人の演奏を、まあ、聞くときもありますけど。
●中村:なるほど、藤本さんに勝とうと思って・・・
★光永:そうです、気持ち的に。
■沼田:藤本さん、演奏する時どうですか?何を考えていますか?
★藤本優:夏は東京の隅田川フェスティバルを行っています。一生懸命トロンボーンを吹いております。
■沼田:トロンボーンを吹く時何を吹いていますか?
★藤本:演奏しております!
★森本:隅田川フェスティバルというのが結構素晴らしくて、僕は参加できてなくて、動画がツイッターでアップされていたりして見たら、隅田川の屋形船があって、そこに30人の女子高生と藤本さんが乗っているんですよ。藤本さんがバーバーとやっているのを女子高生たちがすごい踊っていて、一糸乱れぬように踊っていて、それはそれはひれ伏すしかないような演奏でした。
●中村:藤本さんは、人の前で演奏するのは好きですか?
★藤本:好きです。
●中村:一人でやるのは全然面白くない?
★藤本:面白い
●中村:一人でやるのも面白い。みんなの前でやるのも?
★藤本:みんなでやってます。(からだを揺らしている。)
●中村:隣にいるだけで、なんかリズムが伝わってきますね。
■沼田:鎌田さんはどうですか。踊りってちょっと違いますかね。
★鎌田牧子:ずっとカンパニーで、集団で踊る踊りをやっていて、舞踏を踊ってたんですが、それからソロで踊るようになって、それでまたどこかで誰かと踊ろうと思った時に、誰と組むか、と考えると、やっぱり一番魅力的だったのが、彼らなんですよね。彼らの体とか、リズムとか、間の取り方とか、そういういのがあって、自分で一人で練習した時に、あ、この踊りいいな、というのがあって、そういうのを秘めてきて、ここでやった時に、自分が思っていた踊りがここでは出来ないんですよね、なんかね。その通りにならない、絶対に。音があって体があると。自分が思っていたのと変わって行く。それがすごく面白かったりとか、あとは、来た時に、今日は、智君が隣の部屋で音楽に合わせてお尻を振りながら踊りを踊っていたんですが、それがすごく素敵で、「あ、これもらった」と思って、そういうのもすごくあって来ています。
●中村:他の人たちと一緒にやる場合と、音遊びの会のメンバーとする場合では、どういうふうに違いますか?
★鎌田:基本的に、ここ以外では、即興ではやっていないんです。基本的に、振付けた踊りとか。だから、即興って何なのかってまだ自分の中で分かっていないんだけど、なんだか自分の体が動かされていくような快感、自分で動くのではなく、動かされるような、踊らされるようなそういう快感があるから、それは他ではないです。
■沼田:鎌田さんは、インタビューした時に、一般的に即興とそう出ないもの、と言った時に、即興か作曲かって考えると思うのですが、そうじゃない考え方が聞けたと思うんですが、もう一度言っていただいてもいいですか?
★鎌田:そうですね、私自身は即興というものがよくわからない、というものもあるんですが、ものすごく振り付け師がきちっとされた中で最高の表現が出来た時と、即興で何かふわあっと浮き上がって来るときの瞬間は結構似ている所があるから、そこまでにいく過程は違うんだけれど、そこまで持って行くその過程の違いがすごく面白いなあと思っているし、だけど、やっぱりどちらとも言えない所で、もうちょっと曖昧な所でそういうものが作って行けれる、そういう作り方もあるんじゃないかな、とも思っているんですよね。
●中村:今のお話を聞いていて面白いと思ったのは・・・。いわゆる型にはまった音楽を演奏していても、生でやる以上は即興ですよね。何が起こるのか分からなくて、リズムに乗っているように見えても、微妙にいつもだいたい違うわけですよね。それに対しては、お互いに反応し合ってやっているので、浮き上がってくる感覚というのは実はそんなに大きな違いじゃないのかも。どうやってそれにフォーカスするのかが違うだけで、その浮き上がる感覚というのは同じなのかもしれませんね。
■沼田:フロアーからももし突っ込みたい部分があったらいつでもしていただいたら、と思いますが。先ほどの一人でやる場合とそうじゃない場合のことですが、音遊びの会では保護者の皆さんにも参加していただいていて、青木さんのママは、どのように感じますか?ママパパたちだけの演奏も結構されていると思うんですが。
●中村:一人でやるときと一緒にやるときの違いについて。
★青木(母):あんまり変わらないかもしれないんだけれども、でもたぶん一緒でやっていても、一人でしても、一緒に居れるというのは、たぶん心地がいいというか、そのままでいいと思っている、いつも自分で居れる、気持ちがいい場所、と思っているんじゃないか、と思う。
■沼田:しおりちゃんが、ですね。お母さん自身の演奏はどうですか。
★青木(母):私自身の演奏は、まだまだ未熟て、最初、演奏して欲しい、と言われた時に、どうしていいか分からなくて、恥ずかしいだけで、だったんですが、ある日、自分が何も考えずにそこの場所に居れたときがあったんです。その後に気持ちが良かったなあ、と思いました。
■沼田:藤本さんのお母さんはどうですか。ご自身が演奏される時について。
★藤本(母):うちの優は一番年長だと思うのですね。おいでになっていらっしゃるアーティストの方より年、かも知れません。初めて見せていただきまして、みんなかわいいのに、こんなうちの息子がいいのかいなあ、と思いました。本人も楽しそうですし、制約が無いから、自分の思いで音が出せるというのでいいのかな、と思いました。私自身はですね、はじめここに来るまで即興音楽って全然知りませんでしたし、全然分からなかった。音を聞いてますと、雑音のようにしか聞こえていませんでしたが、何年かたつうちに、子どもたちが周囲の音を聞いてそれに反応していく、それを見るのが嬉しかった気がしました。私自身の音楽はさっぱりだめです。それと、音遊びの会に入り良かったな、と思うのは、さっき先生がおっしゃられたように、社会との接点が大きかったように思います。私自身も優に引っ張られて色んな所に行って。
●中村:ありがとうございます。今、「最初は雑音にしか聞こえなかったけど、ある時から、メンバーが音に反応しているのが分かるようになった」とおっしゃいましたよね、それは、何かきっかけがあったのですか?それとも、だんだん慣れていくとわかってくるものですか?
★藤本(母):それは、始めの頃は、始まりがあっても、全然バラバラなんですよね。終わりがあってもどこで終わっていいか分からない。ていうのが、この頃、始まりと終わりって言うのを聞き分けて出来るようになったのかな、というのが具体的な所ですね。個々の音については、その音に反応して色々楽器の音が変化して行くというか、私自身の耳が慣れてきたというか、と思います。
●中村:実は音遊びの会を鑑賞する際には、聞く人がすごくハイレベルな聴覚能力を持っていないといけないということなんですか?
■沼田:ああ、始めは雑音に聞こえる、という点のことですよね。どうですかね、今日初めて聞いた人はどうですか?
★森本:いや、そんなこともないんじゃないかな、すごく、つぐみちゃん、というピアノの子が居るのですが、聞いたこともない柔らかいタッチでピアノを弾いたりするんですが、全く雑音じゃなく、雑音じゃないものも結構あります。
●中村:たぶん「聞く側があまりにも音楽の観念というものにがんじがらめになっちゃっている」というのが一番問題なのかもしれない。実はいろんな所で、音を聞き合って反応し合っていたり、面白い音の並びがあったりすると思うんだけど、普段私たちはそういうことに関心を持つように教育されていない。大人の側が。そういう意味で、最初は大人が取っつきにくい、ということがあるのかもしれません。
■沼田:その辺りの変化については、宮崎さんが、最初は雑音だと思っていたけど、今はどういう風に音楽を聞くようになったんですか?
★宮崎(母):それはね、最近は、ほんと分からなくてもいいのかな。つきあっているうちに、音楽だけじゃなくて、みんな得意なことが分かって来て、彼女はうたったりするとか、ピアノはきれいだ、とか、そんな感じに分かってきて、つきあっているうちに、やる人はこれって決まっていると思う。長くやっていると、やりたい、とか、こういう感じでこの人はやる、というのが分かってくるから、それにだんだんなって行く。だから、新しく入ってきた人は何をするか分からないから、最初はバラバラな参加だけど、だんだんこの人は大きな音ばかりを出す人だ、とか、分かってくると思うし。
■沼田:今は、デモという形でビッグバンドだったのですが、そうじゃなくて、デュオとか小さな特性を生かしたそれぞれの得意なもので組んだりするんですけど。あと、その音楽を聴いているときも何が面白いか、というコメントもいただけますか?ライブ会場で母親として聞いている時に、どういう所の音楽が面白いと思いますか?
★宮崎(母):音楽分からない・・・。
★森本:まあ、メロディーとかリズムとかありますが、僕は音遊びの会は現象だと思っていて、現象が起こるのを見るのが楽しい。社会やなんやって言っているのとそう違わないやけど、その得意分野はあれども、軽く裏切られることはいっぱいあって、予定調和が全くない場所になって、ここからどういう動きをして行くのか、というのが全然分からないから、そういう現象が面白いかな、と思う。
★鎌田:一番最初にここでやりたい、と思ったのは、ライブを聴きに行って、あ、この音楽で自分が踊ってみたい、と思ったからなんだけど、ダンスでも音楽でもそうかもしれないけれど、やり始めて何回かたつと、一生懸命練習したりすると、体だと、体も良く曲がるようになったり、足も上がるようになったり、すごくいっぱい体が動くようになって、なんだか上手になっているような気がするんだけど、実は長くやればやるほど失って行くものが沢山あって、うまくなる、体がよく動くようになればなるほど出来なくなって行くことがすごく沢山あるんだけど、ここにいるみんなは、もちろんやっているうちに、音がもうちょっと上手に吹けるようになっているけれども、でも、そうじゃない、手放そうと思っても手放せないような自分たちの間(ま)、とか、休符とか、自分の音みたいなのが必ずあって、そういうのを手放さずにずっと演奏できる、というのはすごく私には魅力に感じます。
●中村:「みんなで一緒にやる」って言った時に、私たちが普段考えることって「みんなで合わせて一緒にやる」ってことだと思うんですよね。それから、楽器をやる時に考えることは「どうやってうまく演奏するか」ってことだと思う。ここでは「一緒に合わせてする」とか、「楽器をうまく演奏する」というのはあまり重要視していないようなのですが、これはもう全く重要視していないということなんですか?
★森本:親は、多分している人は結構居ると思います。うまくして欲しいとか。僕らは全くしていない。
★三宅博子:うまいの軸が沢山ある、というか、単に楽器の音がうまく出るようになったらうまい、という軸もあるけれど、もっと全然違う軸も沢山あって、なんか分からないけどすごいいいタイミングで何か起こった時にこの人がいた、みたいなこととかだったりして、そういうことが続いたりすると、あ、あの人、すごい、最近いいね、みたいにすごくなったりして、うまい―うまくない、いい―悪い、みたいなのが一概に言えないとか、その人の振る舞い込み、みたいなこともある気がします。
★森本:やっぱりさっき光永君が闘う、というか、もっと目立つ、というか、ああいう、芸人さん的な、鎌田さんが「間」と言っていたのもそうだけど、そういう洗練された形で出てこない、「間」とか、ちょっと別の所で成長して行く感じがする。
★三宅:狙ったから、精進して、目立ってやろうとかでうまく行くって言うものでもなくって、そういう目指すとかは違う。
■沼田:坂口さんのお母さんとかは、目的として、合わせたいと思っているのかはどうですか。
★坂口(母):智君に踊ってもらった方が早いと思います。智君は、全く言葉を知らなかったのですが、名前を教えるのに、マー坊ヤー坊天気予報で「♪僕の名前は智基−智基」っていうので、名前を教えました。それで替え歌で歌をうたえるようになってから、あ、歌は面白いんだ、って思うようになって、普段こんな感じですけど、好きな音楽は勝手に踊りだしたり、勝手に音楽に参加するんです。最近、あれっと思ったのは、愛奈ちゃん(智基君の妹)のピアノの練習をしていたら、隣で勝手に踊りだしたんです。それで、「今日も踊る?」と聞いたら「やる」と言っているので。ちょっとピアニストが来ないと・・・。(会場の愛奈ちゃんを呼ぶ)
★森本;へえ〜、すごい展開・・・。
<母と子の連弾で、智君がお尻を振って踊る>






★坂口(母)こんな下手な音楽でも、彼にヒットしたら勝手に踊りだすので、「心地いい」というのを障害児でも持っているんだな。たぶん音遊びの会に来ると、彼はとってもにこやかにしているので、彼にとってここにいるのが「心地いい」、だし、「ここでやってみよう」、と思うのが、面白いのがここの方の演奏を、しばらくしてから真似しているんです。なので、普段だったら、「こうしなさーい」、と言われたのが出来なかったら「あなた音楽だめよ」、なのに、ここで聞いてきて「面白いな」、と思ったことが次に出来る、ていうのが、ここに来て楽しいのかな、と思っています。うちは、妹とお兄ちゃんと三人兄弟でみんなそれぞれ違う音楽を楽しんでいるんですけど、その中で同じように音楽を楽しめるのなら、と思って。智君にとっては音遊びの会が音楽を楽しむ場であればすごくありがたいな、というのを今感じています。
■沼田:でも、智君はこういうのはやったことありましたかね。
★坂口(母)たぶんね、今日鎌田さんのダンスを見てから、踊っていいんだ、自分を表現してみよう、というのを多分体得したと思うんです。
★鎌田:さっきはね、もっと腰が砕けたね、危うい感じの腰だったんです。(笑い)
■沼田:あ、はい、そこがね、音遊びの会でも、そういうことをやって欲しい、ということですか?
★坂口(母):音遊びの会は、入って心地よければそれでオッケー。親としては、とても幅が広いので、智君にしたらちょっと年代が小さいですが、中学生になったらこれくらい、大人になったらこれくらい、また年齢によって楽しみ方も違うし、こういう風に成長するんだなって言うのを身をもって高校生の女の子だったり、藤本さんだったり、いくら大きくなっても、自分の好きな音楽が楽しめるんだなっていうのをここで知って、なおかつ智君にもそういう環境を与えて上げられれば良いなと思っています。
■沼田:じゃあ、今みたいにバッチリ合わせる、みたいなことが別に起こらなくてもいいんですか?起こっても欲しい?
★坂口(母):基本的には自由ですが、たまに乗ってくるって言う感じで。
●中村:だいぶ音遊びの会の内情は分かってきたので、ここで改めて、最初にみんなでやってくれた演奏のビデオを見てみましょうか。
<最初に行ったビデオを見て振り返る>
■沼田:客観的に見てどうでしょう。
●中村:自分たちの演奏を改めて見てどうでしょう?
★森本:いい音遊びの会はこんなもんじゃない。今日は、この人数でビッグバンドをしようって言って、さっきの宮崎さんの得意分野が、っていうので、指揮者に向いている子、というのが何人かいるんですが、そういうのがいなくって、一番完全即興、というのになって、ほんとは一人指揮者をたてたかったんですが、僕らがやっても面白くないので、それをたてなかった雑多な感じだと思うけど、でも、個人的は結構面白かった。でも、こんなんじゃない。
■沼田:どこが面白かった?
★森本:えっとね、割と思うんですけど、一応共有している実感って言うのは音遊びの会内で出来ているんですよ。だからむちゃくちゃやっているようで、僕はこれでもまあまあ成立している方だと思っていて。
■沼田:何がですか?
★森本:バランスですかね。聞いていないようで聞いている。その絶妙なバランスが、ある。こんなもんじゃないですよ、「音の真剣ポンポン」(次回の公演)来てくださいね。
■沼田:なるほど。光永君どうですか。
★光永:見るよりやっている方が楽しかった。
■沼田:何が楽しかった?
★光永:何が・・・まあ、ギター弾けてよかったなあ、とか。
★森本:なんかあの、吉見君がしおりちゃんが前でやっていて、なんとなく智君と藤本さんがやっていて、その後ろで僕らが地味なことをやりつつ、っていう、何となくの3段構成になっていた、と思っていて、そういうのは楽しみながら見ていた。この層が出た、あそこがどうなった、など。






■沼田:なるほど。一応、あの中に層があったということですね。
★森本:うん。
■沼田:そういうのを聞いていて分かった人はいるんでしょうか。
(反応なし)
■沼田:まあ、じゃあ、こっちの方でもなんか、智君はどうでしたか?
★坂口(父):今日はビッグバンドでほんとは指揮者がいるはずなのが結局いなかったんですけど、先ほどから何度か言われているように、私の思いとしては、音楽って言ったらやっぱり今までのイメージからして、リズムがちゃんとあって楽譜通りにやってみたいな、そういうイメージがある。でも、単に音が並んでいるだけだったりさっき雑多ということ言葉も出てきたり、正直まだ理解できないところがあって、今日の演奏もちょっと雑多の方に近いのかな、と個人的にはやっぱり思ってしまいます。で、その中に最初音遊びの会の中でいいなと思ったのがビッグバンドで、指揮者がいるとそれなりに指揮に合わせて強弱なり終わりも見えたりして、聞いている方もすごい安心するんです。やる方も安心してやるのかもしれませんけど、親として聞く立場として、非常に音楽になったな、という所で安心感がある。で、今日は、先ほどの質問になるのかもしれませんが、僕が智基とかといっしょにやる時に何を聞いているかって言うと、やっぱりついつい型にはめようとしちゃっているのかもしれませんけど、さっきの場でもできるだけリズムを生み出そうとしてきたつもりで、それにみんなが合わせてくれたらいいのにな、といつもやるんですが、たいてい裏切られます。裏切られなかったことが無いです。ただ、最初に「音遊びの会」っていう名前も音を遊ぶっていう非常にいい名前だな、と思ったんですけど、それはそれで音遊びの会、音を遊ぶ、という意味ではそれも一つの楽しみ方なのかなあ、という風には思っています。僕は即興音楽をまだ理解できていなくて、そういう意味で、この会の中で私が思っている既成概念をどんどんどんどん崩されて行っている、僕が崩されるのを楽しみにしながら参加している、という感じです。
■沼田:それは楽しいですか?
★坂口(父):僕は楽しいですね。あ、こういうのもありなのか、これも、ありなのか、と思って。で、僕自身だったら、たぶん、智基がいなかったら即興音楽って言うのに触れることは無かったと思う。それが先ほど言ったように、これもありかなのか、っていうところで自分の許容範囲、それがどんどん拡げられて行っているというのは、僕は楽しいですね。智基自身も先ほど言ったように楽しんでいると思います。智基は他ではさせられていることも多いと思うんですが、ここへ来るとミュージシャンの人たちがそれ以外のことでどんどんどんどん智基の引き出しをあけてくれるというか、とんでもないことが歌になっていたり、僕が今までに見たことのないような智基を見せてくれたりすることも良くあって、そういう意味で、智基のためにはなっているのかな、という部分はありますね。
■沼田:ももかちゃんはどうですか、今の演奏は。
★宮崎百々花:楽しかった。 ■沼田:どこが楽しかった?
★宮崎(母):今ね、全部に反抗期で、学校も、お風呂も、ご飯も、何か「ご飯だよ」、「いや」、「学校」、「いや」、「病院行こう」、「いや」、音遊びもいや、全部嫌だから。
■沼田:でもここに連れてきている?
★宮崎(母):「えー行こうよ」って行って。「家にずっといるん?」っていうと「いや」。いやしか言わない。
■沼田:何かフロアからありますか。
☆フロア1:前に一度ステージを見せていただいたんですけれど、曲によってすごく違いますよね、ほんとに「ステージ」って言うのをすごく思ったんですが、あれはやっぱりミュージシャンの方たちがデザインされて、これはこんな感じでやってみようとか、これはこうしよう、という意図がすごくあるんですか?
■沼田:いつの何を見たのでしょうか?アートビレッジセンターのでしょうか。一応、毎回プログラムはだいたい決めていて、森本アリさんがやってくれる時以外は。アリさんがやる時も、一応誰と誰、という組合せは考えて、この時はこういうやつをやろうって言うのは結構ミュージシャンが色々アイディアを出してくれてやるって言う感じです。
★森本:でも、例えばアートビレッジセンターでやったやつは、最初に吉見君と同じ学校の高校生4人とかを並べたんですよ。で、もう想像をものすごい裏切る演奏だった。まともな感じになって、なんかポップバンドのような、息のあった気持ちいい演奏みたいなのをやっていて、僕ら全員びっくりして、そういうちょっとくらいはやっぱり裏はあるというか、構成しようとしている所はあるんだけど、予想ははるかに想像しない方向に持っていったりは、皆さんしはるんで。
☆フロア1:現場で、その場でやっている、という所はあるんですか。
★森本:まあ、坂口さんのお父さんも言っていましたが、裏切られるというか、やろうと思ったことに行かないことに気持ちよさを感じるんですよ。
★光永:今、智君がさっき出てきたのも、予定調和じゃなくてググっときましたね。
★森本:親までね、出てくるということもあるんですよね。だから、ある程度構成を決めていたり、その時旬なものっていうのが常にいっぱいあって、その旬なものを出せるように、ってしてる。この子が今こういうことがすごくいいから、それが見せれるといいね、っていうことは公演前に話したりする。
■沼田:じゃあ、予定調和じゃない所のプログラムって言うのはどういう基準なんですか?
★森本:どうせ予定調和じゃないことになるって言う基準は割とある。
■沼田:あって、でも決めるんですよね。
★光永:予定調和になっても、逆にそれが予定調和じゃなかったり。
★森本:えーと、まあ、作曲とかなんとかって言っている範囲では、その子とその子を組み合わせるって言うのが既に作曲みたいなもんかもしれなくて、そういうのはあるけど。
☆フロア1:その組合せでだいたいこんな音楽が出るっていうのはある程度決まっているんですか?
★森本:思ったり、分からへん、全然分からへんからこれみたい、とか、そういうのは良くあるし、それが子どもたちからくる場合もないことはない。誰とやりたいですか、と言って進行して行くようなワークショップもある。子どもの指名制だけで、とか。
■沼田:他に何かありますか。
☆フロア2:えーと、「音の城」で初めて見せていただいて、その後は映画を見せていただいて、今回また実際に拝見して、その「音の城」の時の方もいらっしゃって、でも初めての方もいらっしゃるんですけれども、持っている個性が全然違う、音楽的個性も違う、で、嗜好も違う、でも長くやっていると変わって来るものって、何となくあるのかな、と思うんですけども、どのように音楽的に変わって行くのかって言うのが実際には私にはもうちょっと良く接していらっしゃる方からとか、父兄の方からとか、音楽的な変化というものが聞けたら、と思うのですが。
★森本:藤本さんを例に出すと、藤本さんは「音の城」の時は、ショパンの人やったんですよ。楽譜以外のことをしたがらない、ぐらいの、じゃない、お母さん?
★藤本(母):そうですね。
★森本:そうですよね、即興って言う概念でやっているか分からへんけど、今トロンボーンが楽しいんよね、それですごい強い、聞いたこと無いくらい大きな音出るし。でまあ、ショパンを頑張ってずっと弾いているって言う、きっちりした性格の人で、陶芸とかもすごいいいもの作ったりするんですけど、細かいことがむしろ好きな人が、カッコつけなんで、トランペットをやりたかった、だから、楽器を持ってトランペットがかっこいい、で、「音の海」では僕と江崎さんと藤本さんの3人で演奏したりしていたんだけど、どうも口が合わなくって、突然トロンボーンを吹いたら、吹いたとたんにボーンて出て、「やったオレ得意な楽器を見つけた」、彼の場合は。っていう感じやって、すごい大きな音で出るようになって、大友良英ニュージャズオーケストラっていう凄腕の人たちとセッションとかして、ソロの部分で藤本さんが出てくると、大友良英ニュージャズオーケストラの人が対決して行くねんけど、頑として譲らないから、ずーっと藤本さんが続けて、全員がそこに同調して行くっていう現象が起きたりして、そんなんとかものすごいな、と思いながら、僕らみんな聞いていたりするんですけど。まあ、人それぞれだと思うんですけど、彼の場合はそうやって楽器を見つけて、そこからまともな声楽なレッスンとかも受けていて、歌とかもすごいいいんですけども、歌も、なんかえらい伸び伸びしてきましたよね?その後。
★藤本(母):そうですね。歌うのは好きです。
★森本:なんか発声法とかもめっちゃ良くなって、トロンボーンを吹いても。
■沼田:あれは習っているんですよね。
★森本:だから、習い事もしている人なんですけど、その中でもトロンボーンがめちゃいいな、とは、歌もいいけど。
★本間知子:私も、7年間ずっとケアで関わっているんですけど、藤本さんを例にして言うと、さっき音が変化して行く時って言うのは、アーティスト、色んなアーティスト、ずっと来てくれている人もいるし、ぽっと来てくれる人もいるし、ライブだけのゲストの人もいるし、そういう人が新しい演奏とか面白いことを持ち込んでくるんですよね、ものすごく敏感に見てはって。で、トロンボーンを吹き始めて、すごい音をがんがん鳴らすのが好きやったばっかやったのが、ONJOの時、青木タイセイさんっていうトロンボーン奏者とリハーサルの時にちょっと合わせているうちに、二人が競争するような感じで、それまではガンガンしか鳴らしていなかったのに、青木タイセイさんがものすごくニュアンスを出して、でも、藤本さんに負けんどこと思って、本人も出してはんねんけど、その変化とかニュアンスを瞬時に感じて、それまでの音遊びの会では出ていなかったのに、そのリハーサルの青木タイセイさんとほんとに2、3分やったその瞬間に感じ取って、体で、そのニュアンスを出しはって、以降、彼はそれが出来るようになったんですよ。で、その本番よりもその場面が面白くて、すごく記憶に残っている。そういう瞬間瞬間があって、なんかこう、こんな風にしたら違う音が出せるって言うのをすごくアーティスト、他の人、新しい風の人から感じ取って、だから私はアーティストの役割ってすごく大きいなって思っていて。で、それが面白い魅力のすごい大きな一つじゃないかなって、すごく感じていますけど。
★三宅:藤本さんのことで言うと、トロンボーン以前/以後、で今の形が出来ているというのもそうなんですが、ショパンをやっている時に、彼は無心にショパンを弾いている感じはするんだけど、なんかものすごいいいタイミングでみんなに響き渡る時に弾いているっていうことをある時ミュージシャンの人たちが感じ取って、それは他の人が演奏している時とか、話しをしている時とか、それは偏りがないから、それは若干KYとも言えるんですけど、でもすごくいいタイミングで弾いている、ってことがあって、トロンボーンを吹いていることと、ショパンを弾いているって言うことが等価っていうか、何かしら空間に対して何かアクションをしているっていうか、そういう意味では、勝ち取った、なんというか、獲得してきたものもあると思うんですけど、最初からすごく「場」みたいなのを感じてなんかやっている、って言う部分があるような気がします。
☆フロア3:えっと、今日演奏を聞いていて、教育と学習っていうものが、個々の誰かが誰かを見てますよね、結構。だから光永君も見てたし、誰かが誰かを見ていたり、あからさまな教育じゃないんですけども、まあ、「見守る」かもしれませんし、でもまあ何らかの教育とその人にそれを何かを伝えたり、あるいはまあ、何を思っているのか、様々あるでしょうけれども、そういうのを見て取れます。それでいて、それはこうしろ、と言っているんじゃないから、でも、その態度はすごく分かる。そういうのが混在しているって言うのがとっても面白い。
 でも、あえて映像の音とかのことを言いますけども、映像になったらあんまりそれは分からないから、音だけ聞いたらうるさいだけだから、耳を塞いでいました。 (会場笑い)
★森本:いいんじゃないんですか。僕は割と大丈夫なので。僕は耳を塞がずに、反対に目をつぶって聞いたんですよ、最後の方。で、割と聞けるって思った。説明するのは難しいですけど。
★鎌田:教育っていうかどうかは言葉のあれでよく分からないんですけど、確かに長く一緒にやっているから、ここに居て、何かが始まった時に、その空間を共有しているとか、音楽を共有しているって言う感覚がみんなにあるから、その共有の仕方って言うのは色々かもしれないけど、やっぱりそういう共通の感覚を持って演奏しているって言うのは確かに感じる気がしますね。それぞれの共有の仕方なんだけども、そういうのは長く続けているって言うのも大きいんじゃないかな、と思います。
●中村:たぶんその「長く続けている」っていうのだと思うんですけど、私がいくつか映像を見せていただいて、それから今日聞いていて思うのは、「雑音でバラバラだ」っていうより、「いつも音遊び特有の音がしている」っていう気がするんですよ。同じ即興でも、ここの人たち特有の音響っていうのがやっぱりありますよね。いつも割とその辺のまわりをやっているような気もする。「何でもあり」とか言いながら、実は何でもありではなくて、音遊び特有の音の作り方みたいなのがあるような気がするんですけども。その辺、例えば他の所で音楽をやっている方は何か違ったりしますか?例えば、他ではやるけどここではやらない弾き方とか、吹き方とか。何かあると思うんだけど。単純な話、ごく普通のリズミックな音楽って、絶対ここではやらないじゃないですか、ミュージシャンの人たちも。それから、誰か一人がずっと繰り返し同じようなことをしていても、それに同調するようなことはしませんよね。
★森本:いや、しますよ。いいな、と思ってついていこうか、って言うことは結構あります。
★光永:しおりちゃんは、歌ったりするんですけど、それに合わせてギターを弾いたりすることもあります。だから、時と場合によります。
●中村:でもやっぱりしおりちゃんの動きに触発されて、演奏される。
★光永:そういうのが面白いときもあるし、合わせない方が面白いこともある。
★三宅:なんか、他の所と明確な違いはないかもしれないけど、自分自身は何かこう何人かで居ると、その間をとるというか、隙間で音を出すみたいな感覚があるというか、自分がこんなことがやりたいから、ここで今私はこの音を吹こうと思って吹くというよりも、今なんかこっちでこんなちらって動いたとか、こっちでふわって鳴っているとか、そういうの、なんとなく見えていて、見ながら自分も音を素で出しているんだけど、さっきの午前中にあった映像楽譜にちょっと近いというか、全体がなんかそうあるから自分が出て行く、という感覚なんですけど、だから自分にとっての、まあ、極端な言い方すると楽譜っていうか、いう人たちっていうのが、ある程度顔を知っていて、この人はこんな風に動くっていうのが分かっていたりすると、自ずとその間を自分の音って言うのを、なんか決まってくるっていうものがあるっていうか、それを自分で決めようと思って決めているわけじゃないんだけど、その場が決めるっていうか。そういう感覚はすごくあって、特にたくさんの人とやっているときは、ある。
■沼田:なんか、中島さんはもともとスタッフとして、というかケアとかの役割をずっとやっててくれていたんだけど、最近は色々入るようになって、その質問に対してはどう思いますか。
★中島香織:何でもありでもありに見えるけども、語彙がある、みたいな所ですよね。
■沼田:とか、自分でやる時に他と違うか、とか。
★中島:まあでも、単純な話、ここでしか出来ないことは沢山あるなあ、と思います。
■沼田:どういう所が?
★中島:めちゃくちゃな踊り。踊りでもないし音でもない、みたいなことをすんなり出来るのは、割とここだけな気がします。なんかまあ、演奏しましょ、っていって前には出るんですけど、別にそこで楽器をやる気分じゃなかったら踊ってもいいし、みたいなことは音遊びでしか出来ていないのかなあ、と思う。でも、その語彙ももしかしたらどこかで音遊びならではのっていうことで作られた、ということはあるかもしれないけれど。
■沼田:寺尾君はずっと前関わってくれていて、何年かぶりですよね。
★寺尾孝太:自分が関わっていた時は、やっぱり三宅さんが言っていたように、誰かが何かをやっていて、じゃあそこで自分が何をやろうかみたいな感覚がすごいあって。その誰かがやったのを聞いて、それを真似してみよう、っていうのもあるし、ここの隙間にこの音を入れたら面白いだろうな、って言う感じもある。本当に自分がこういう風な音を出せるって言うこともあると思うんですけど、僕はどのタイミングで入れるのかとか、それがそこに合っているのか、とかを考えましたね。
★森本:純粋培養というか、やっぱり七年もやっているとここの方法論は絶対あるから、急にやっても絶対出来ない、僕ら始めた時に知的障害の子どもらを前にして、ものすごい、僕も壁にぶち当たって、「何も聞いてくれていない!」とか、そういう感じででも、やっぱり何かをやらせようとしていた部分もあったし、でもあぁ、これじゃあかんな、とか、試行錯誤は最初の頃めっちゃあったから、共有していることは絶対あって、その経験がなかったら出来ないものになっているから。即興って言ったって、本当の即興かどうかは分かんないですよね。この空間で共有しているものと同じになっている可能性は十分にあると思う。
★三宅:始まりとか終わったりすることとか、お互いの間にズレていてもいい、とか、それは結構大きいかな、と思うんですけど。例えば自分が音を出し終わったら、この今の音楽が終わってしまうんじゃないかな、と思って音を出し続けているっていうシチュエーションってあると思うんですけど。それとか自分がなんかこう始めないと始まらないというか、そういうのってなくって、自分が終わってもずうっと続けている人もいたり、私はでも別にまだ自分始めたくないから、やらなくても、もう始まっているって言う人もいるし、でもそれが同時にあっていいっていうか、みんなでせーのでいるんだけど、始まり方がバラバラだったり、出入りが出来るって言う感覚が共有されているって言う風に思うんですけど。それが、そういう感覚って言うのがだんだん作られて行ったんじゃないのかな、と思う。
■沼田:一つのルールを試してみようとする時に、そのルールの理解度がみんな非常に異なるから、それがある人はこれくらいなんだ、って言うのが、一つのあるルールに対して分かって行く過程があるなあ、と思ったり。その過程で色々分かって行くのかなあ。だからルールが守れる人、そうじゃなくて自由にやる人、その辺りをどういう風にお互いがやって行ったらいいんだろう、みたいなのは、そういう新しいルールを試す中でお互いの方法や、まあ理解度みたいなのをミュージシャンや演奏家同士が分かって行っているのかなあ、っていう気はしているんですけれど。
☆フロア3:すいません、ちょっと内部的なお話が多いと思うんですが、さっき中村さんが言われたようなある種の特性があるとか、この会場で外部的に居ている人のももうちょっとしないと。僕はすごく感じたのは、今日サンプルとしてみたら、今日見事に終わったと思うんですよ。エンディングが。向こうでセッションをやっても(※午前中に行った別室での即興演奏)、なかなか終われませんよね。自由セッションやっても。終われないんですよ、今日、なんか見事に終わったから、ああ、すごい、と思ったんです。そんな感じです。
☆フロア4:私も終わりがすごいと思いました。お互いがもうテレパシーのように終わりを察知していてすごいと思いました。
★森本:いい終わりだったよね。
★坂口(父):やってた方としては、もうちょっと前に、何度か終わろうかな、終わろうかな、と迷いながらのところはあったんですけど。もう終わるやろな、と思って徐々に音を下げて行ったんですけど、急にまた藤本さんがバババってやったんで、ああついて行こうとか、そういうのが何度かあった。
☆フロア5:それ、普通にありまけど。普通に、僕らのジャムセッションでいう、普通にオチみんなで探して、おい、どうする、どうする、って、誰かがオチ見つけたけど滑って、じゃあもう一回作り直して新しいオチつけようかってやってて、なかなか模索して終われないっていうか、普通に僕らの世界でもありますけど。だから、あ、すごいなって、さっき、終わり方に関しては、あ、みんな通じ合っているのかなってふと思いましたけど。聞いてて、普通に聞いてて、普通に楽しいし面白いし、普通にいっしょにやりたいな、と思いました。あの、事情は分からない、話し聞く前ですけど。そういう事情なんだ、大変だな、と思いましたけど、話し聞く前までは、あ、一緒にやりたいな、と思ってました。それだけです、僕。
★森本:大変じゃないですよ。(笑)
★坂口(父):今日のは音を自分で後から聞いてみて、今日のはやっぱり雑多だな、と思いました。先ほど耳を塞ぐと言われましたけど、多分僕もこの会に居なかったら、どちらかというとそちらの立場になると思います。で、たぶんいつもだったらさっき言ったみたいに指揮者が居るので、最初僕が言いましたようにもうちょっと聞く側も安心して聞いたりとか、あ、ここで終わるんだな、というのがもっと見えてたりしてたと思うんですよ。ただ、その割には、先ほど言っていただいたように最後きれいに終われたんで、そこはみんなわりと、まあ、なぜかっていうのはなかなか言いにくいんですけど、まあ今までの経験って言うのもあってうまく終われたのかな、と思います。普段ワークショップ見てて、今日よりももっとバラバラな時もあるし、ワークショップだけじゃなくて色んな舞台とかそういう所で公演とかする時は、お、すげえ!って言うような時もありますし、鳥肌が立つような時もあるし、是非また今度ライブにでも来てもらったら。まあ、ハズレることもあるかもしれないけど、また大当たりのこともいっぱいある、と思います。そういう風な、色んな、ワークショップでも、普段そういう失敗したりとかしながらやっています。
★鎌田:私は、例えば指揮者のことでも、始まりは指揮の人が始める前からもう音がいっぱい出てきていたり、終わりって言っても、もう自分はここまでこうしなければどうしても終われないって言う人がいたりして、それがすごく私は魅力で。始まろうと思っても始まれなかったり、始まる前から自分がここからしか始まれないとか、終わる時も自分がここじゃないと終われないって言うのが、そういうものがすごくあった方が。だから指揮者がいて魅力なのは、指揮があっても、そうじゃない所で指揮が出来ない人たちも一緒にあって、なおかつ指揮があってその演奏、音楽、空間があったりするのが私としてはすごく魅力的なんですよね。うまく終われない方が面白かったり、うまく始まれない方がすごく私にはとても魅力的に感じるというか、そういう風に私は思っているんですけど。
★金澤(母):すいません、今日、長い時間、里紗来てしまって、静かに話し聞いたりとかしたかったんだろうと、セッション終わった後なんかもね、そういう思いきっとあったんだと思うので、本当にお詫び申し上げます。すいませんでした。でも、娘も音遊びの会に来させてもらって二年なんですけど、ほんとにメンバーもそうだし、ミュージシャンもそうだし、ダンサーの方もそうだし、来ているお友達も保護者の方もそうだし、とても暖かくて素敵な方ばかりで、本当に音遊びの会に来始めて、行くのが月二回、本当に今日行くよというと、すごく楽しみにしていて、入ってから1回も欠席したことも無いくらい、ちょっと熱出ても、それでも時間が来ると熱下がって来たりとか、おなか痛かったりとかしてもここに来てちょっと元気をもらったりとかして、本当に好きで、楽しませてもらっています。本当は、最初どういった形でこの子が出来るかっていうのを思ったんだけども、本人はここに来て、すぐできるとかじゃなくて、すごく色んな方と関わって行くなかで、色んな信頼表現とか、この間も、ちょうど一週間前のワークショップの時も、急に今までしたことのないマイクをぱって持って鎌田さんと一緒にダンスパフォーマンスをしてみたりとか、新たな発見もやっていくなかで出てきて、そういった所もあって、本当に今日はすいませんでした。でも、素敵な所で。すいません、最後に長く話しをさせてもらいましたが。したいな、と思って言わせてもらいましたけど。
■沼田:じゃあ、若尾先生ちょっとコメントを。
☆若尾裕:はい、まず、これは、今の時代しか成立し得ない試みだった、ということを非常に今感じた所です。例えば19世紀のヨーロッパでこれができたかって言うと、できなかったと思います。そういう意味では、フリー・インプロヴィゼーションからフリー・ジャズにかけてのアルバート・アイラーからコルトレーン、ジョン・ケージにかけてはものすごく偉大だったな、ってことを思ったわけです。そういう様式が無ければたぶんこういう試みは成立し得なかったんじゃないか、と思ったんです。それでまあ、それは非常に自由度が出てきた、って言うことがあって。
 今、お話を伺っていて、ものすごく興味深かったのは、ご父兄の方の言われたことでした。まあ、研究屋というのは非常に寂しい所がありまして、ひょっとしたらこれは、フリー・ジャズ、フリー・インプロヴィゼーションのこういう音楽の、言ってみれば普通の人がどうこれを受容していくか、というエスノグラフィックな研究としては非常に素晴らしいものではないか、と思ったりします。こういう場はほとんどないので、沼田さんがその辺のことをやってくれたら面白いなあ、そういう研究対象、絶対ないと思ったりします。
 ですから、こういう風なものが、ま、スタイルって言うのは音楽っていうのはどこでもあって、それは一種の交通整理なんですけど、その交通整理ってのが音楽ってのはとても難しいのは、それがどうしてもいるんですね。で、なくしちゃうと、混沌になっちゃうけど、それがあまりありすぎると堅苦しいものになるって言う、そこのところのテクノロジーをうまく開発して行く、まあ、一種の場としてものすごい面白いと思いました。
 演奏者の方々が、あの方々の演奏には超えられないという、不可能性のようなことを良く言われていたのも非常に印象的です。確かにこれ、どうやったって出来ないって言う部分があるからこそ成り立っているって言う音楽って言うのがあって、それは他のフリー・インプロヴィゼーションやなんかとは絶対出来ない、強烈な場である、と思いました。
■沼田:ありがとうございました。
●中村:私もどういうことになるかと思って、非常にびくびくしながら、という状況だったんですけれども、なかなか面白い話、体験だったり・・・。今話しながらも隣で藤本さんが「焼きそば」とか「バーベキュー」とか言っていて、すごいなんかお腹すいてきちゃったりして。これ自体がなんか面白い体験で、話しているのに、隣から違うリズムがガガガガって。ちょっとノリノリになったりとかしてたんですけど。
 音楽の研究をしている立場の人間として普段感じているのは、やはり音楽について語る言葉があまりにもなさすぎる、っていうことです。音楽の研究っていうのは昔からあるし、音楽学とかもあるんですけども、結局楽譜の話でしかなかったんですね。ようやく最近、実際に人どうしが何をしているのかっていうことが語られるようになってきて。だけど、私たちまだ言葉がないんです。実は、学問自体がそういうものだと思っていて。って言うのは、人間って割り切れるものじゃないんですけど、19世紀以来、近代の学問っていうのは一生懸命割り切れる所だけを語ってきたんです。それによって私たちの生活が豊かになったんですけれども、ただ私たちがもうちょっと先に行くためには、割り切れないものをいかに語るかとか、割り切れないものをいかに重要なものだと見つめなおしていくかということだが大切だと思うんですよね。そういうことを考える上で、「音遊びの会」で音を使ってこういうコミュニケーションをしてるっていうのはとても貴重だし、音楽のあり方を考えていくのにすごく重要な場になるんだと思います。なので、是非、これからもどんどん続けていって、演奏はもちろん、音遊びの会でやっていることについて、これまでにない言葉でうまく語りを作っていってくれたら、すごく面白いんじゃないか、と思いました。今日はどうもありがとうございました。




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