日本音楽即興学会(JASMIM)2012大会報告



【講演者】
富田大介 / Daisuke TOMITA

神戸大学大学院博士後期課程を修了(学術博士)。
今春より、大阪大学大学院国際公共政策研究科 稲盛財団寄付講座 特任助教に着任。
現在、京都芸術センター通信「明倫art」にダンス評を隔月連載中。
パフォーマーとして、レジーヌ・ショピノ、ジェローム・ベルの作品に出演など、ダンスの実践と理論を研究している。
博士論文:「習慣の原理についての一考察――「心体操」の理論的基礎付けに向けて――」


【要旨(大会抄録記載)】
今でもコンテンポラリーな公演では、「これは(どこまでが)即興ですか」という質問がアフタートーク等で出ることがある。そしてこの質問には往々にして、何かがその場で起きていたようなあの感じは、「即興だから」という筋が想定されている。しかしながら、例えば演劇において、そもそも俳優の条件が「日常の様々な動作を、意識して、自由に組み合わせて、何度でも新鮮な気持ちで演じることができる」(平田オリザ)というものだとしたら、即興かどうかはさしたる問題ではなくなる。即興は、新鮮ないまを生きるための十分条件ではないのだ。


実際、即興とされる舞台を見ても、(そこにイキイキとした現在を認めるよりも)「過去の奴隷」と言い表したくなることさえあるだろう。現在は、過去が未来に浸食するその尖端と考えるならば、それも然りであって、身についた記憶、言い換えれば「習慣」が、私のいまここにあり、イメージのかじ取りをしながら、現在を身近(反復)なものにしている。とはいえ、私たちはなぜそのような傾性をもつのだろうか。日常の生を省みれば、知覚が豊かな差異を含み、イキイキしているなんてことは、実のところ稀であり、生の運動傾向にとっては逆行的な時間のようにも思われる。


この講演では、(ダンスを中心に)現代のアーティストの活動にふれながら、F・ラヴェッソンやH・ベルクソンの哲学を介して、私たちが未だ知らざる時間を生み出す際のメカニズムを追究してみたい。それは多分に「即興」の要件を捉えることにもなるはずである。


【報告】
こんにちは、富田です。今日はお招き頂きどうもありがとうございます。


沼田さんより今回のお話を頂戴した時には些か躊躇いましたが――なにせ音楽にはそれほど詳しくありませんので――、「(まぁ)ダンスの話しで」いうことでお引き受け致しました。とはいえ「日本音楽即興学会」で講演させて頂くのですから、ダンスの事例に目をやりつつ核を少し広げられたらとも思っています。


この講演の参考文献として挙げました博士論文では、即興の心身状態について、ダンスの諸事例から、最後には一般化への途を開くよう努めました。本日はこの論文をもとにしながら話したいと思っています、というか思っていました、が(その限りで講演要旨を書いたのですが)先日、東京の森下スタジオで「世界の演出の実験:プレゼンテーション」というイベントがありまして、そこで<けのび>という劇団のデモンストレーション(パフォーマンス)に立ち会いました。それが、なんと言うか、「こんな時間に立ち会えたら」と自分が理念にしていたドラマの一端に触れ得た感じで、それを含めた仕方で今日の講演をしたいという欲求に抗えなくなってしまいました。迷ったあげく、一昨日<けのび>の演出の方に連絡し、映像を少し頂戴しまして、昨日原稿を大幅に書き換えました。そういうわけで、すみませんが、事前にお知らせしていた講演要旨とは多少ずれてしまいます(が細い糸でつながるようには努めます)。ご容赦下さい。


僕自身、ダンスレヴュや論文を書いたりと、書斎の人である時間が多いのですが、その一方で、舞台に立ったりワークショップに出たりと、実践的なことに関わるのが好きな人でもあります。この学会には演奏やパフォーマンス実践をされている研究者が多いと聞いています。質疑応答の時間のみならず、皆さんといろいろお話できればと期しています。


そもそも僕が「即興」に関心をもち始めたのは、だいたい今から15年くらい前ですが、パフォーマーとして公演をやるにしても、観客として公演を見にゆくにしても、「ライブ感」と言いますか、役者の「ノリ」と言いますか、まぁ「ダンシー」って言ってもよいかもしれませんが、その場で(イキイキと)何かが生まれている感じ、ということに多大な関心をもつようになりました。


端的に言って「即興」、これにそうしたノリを起こす要因があるのではないか、と推し量るようになり、この仮説を検証するために、所属していた劇団の演出家に即興のシーンを入れてもらうよう頼んだり、上演芸術の歴史で即興の試みをしていた人たちについて勉強したりするようになりました。演-観がともに「ノル」可能性を即興に求めたわけです。この中には詳しい方もいらっしゃるかと思いますが、アナ・ハルプリンやジャドソンチャーチ派など、50~60年代アメリカの前衛には興味をそそられました。また、関西に住んでいたということもあり、即興舞踊家でルドルフ・ラバンの研究家でもあった故神澤和夫さん(昔近畿大学におられました)や、即興をソロ活動の基軸としている岩下徹さんに会いに行ったりして、いろいろとお話を伺いました。しかし、その場で(イキイキと)何かが生まれている感じは、実のところ、必ずしも「即興」を必要とはしないことが分ってきました。演じ手の立場からすれば、十全に構成・振付をしていたシーンであっても、観客に即興の感じを与えることはできましたし、逆に、あるシーンを即興でやっていたとしても、それが実際に即興とは思われなかったりもする。しかも、そもそも純粋な即興などというのは、いったいどういうことなのだろうという疑念もわき始めたりしました。


ただ、知見や体験の度合いを深めてゆくにつれて、僕の関心は、実は少なからず時代のatmosphereにまかれたものだったのかもしれないということも分かってきました。実際、コンテンポラリーダンスについての、観賞や自身の体験、そして数々の論考を分析するならば、そこには「出来事性」という性質が浮かび上がってきます。
この性質をダンスの分野において、明快に取り出した論者の1人にフランスの哲学者フレデリック・プヨードという人がいますが、彼は、90年代半ば頃から顕在化してくる「新たなシーン(Nouvelle scène française)」と呼ばれる欧州のコンテンポラリーダンス――そこにはアラン・ビュファー、ジェローム・ベル、グザビエ・ル・ロワ、ボリス・シャルマッツ、エマニュエル・ユンetc.らがいますが、彼ら(当時20~30代の若手でした)は小劇場や野外で「作品」(の概念)を反省させるような秀作を次々と発表してゆきました【写真】――のクリエイションの特徴(とそれを取り巻く環境の特性)を次のように析出しました。すなわち、固定的なカンパニーを必要とするレパートリーの創作よりも一期一会的なプロジェクトタイプの創作志向、作品の生産(production)と配給(diffusion)に絡む経済・資本的なコンテキストにより作品が変化する生産‐配給の同時的かつ流動的な創作方法、上演現場でのダンサーの存在状態(形よりもエネルギーの受け渡しなど)を生(き)のままに活かす即興的エクリチュールの利用、そして既存の「ダンス」の明証性を疑い *1 、原初的な次元から身体の運動や身体と身体の関係を問い直すパフォーマンスの試みなど、これらによって彼らの舞台はその都度の状況を色濃く反映する「出来事性」を強く帯びるようになっていったというわけです(cf. Pouillaude : 2004, 15-18 *2 )。
欧州の事情がそのまま日本と重なるわけではありませんが、ある流れの中に僕もいたのかなとは思います。
ただ、こうしたことが反省されることで、即興(踊るということ)が「美学以下の」あるいは「制作術(作品を作るという芸術的営み)以下」のところで語らざるをえないという言説からは距離を取ることができます。


さて、ここでプヨードに倣って、即興舞踊の二つのタイプを示しておきたいと思います。一つは、ソロの舞踊として、ポール・ヴァレリーが想い描くようなダンスです。
ヴァレリーはダンスを、エネルギーの消散自体を目的にする運動と看做します。すなわち根源的には、私たちの肩回しや、動物たちの(ぶるぶるという)身震い、子供らの追い駆けっこや燥ぎ〔はしゃぎ〕と同じ、と考えます。ただ違うのはそれに形式が与えられることによって、ある筋肉運動の終わりが次の運動の始まりにつらなってゆき、そこから持続性が生じるという点です。この持続性ゆえにダンサーは(情‐)熱を増しながら自身の体内エネルギーを果てまで探索してゆく。筋肉運動感覚の自走に任せながら、あたかも夢の論理に似て、「内的な生la vie intérieure」を生きるというわけです。「ダンスの哲学」からヴァレリーの言を引いておきます。


哲学者の目にはこの踊る女が、いわば、自分の生み出す持続の中に閉じ込められているように見えます。現在のエネルギーからつくられた持続、ほとんど持続しないような極小の持続しうるものからつくられた持続の中に閉じ込められているように見えるのです。(Valéry : 1957, 1396 *3


そうです、この踊る肉体は、他の一切を無視しているように、自身を取り巻く環境など何も知らないかのようです。この肉体は、自身に耳を傾け自分だけを聴いていると言えましょう。[…略…]哲学者は興奮します。外在性がない! 踊り子は外を持たない…。自分の行為で自らつくるシステムを超えては何も存在しない[…略…]。/ダンスは哲学者の眼には人工的な夢遊病(somnambulisme artificiel)のように映ります。自分用の棲みかをつくる感覚たち(sensations)の集まりのように映ります。その棲みかにおいては、幾つかの筋肉的な主題(テーマ)が、[…略…そのダンスにそのダンス固有の持続をもたらしているような]と或る連続(継続succession)にそって続けられます。(ibid., 1398 *4


[…略…]ダンスを内的な生(vie intérieure)の一つのあり方と考えることはできないでしょうか。ただしこの心理学の用語に今や生理学が支配的である新たな意味を付与してのことですが。/内的な生、それは、持続のさまざまな感覚とエネルギーのさまざまな感覚から全面的につくられ、それらの感覚が互いにこだまして、何か閉じた共鳴圏のようなものを形づくる、そんな生のことです。(ibid., 1399-1400)


ヴァレリーの踊り子は、これらの文言から推測されるように、エネルギーの消尽と自己陶酔によって「脱自」に到り、倒れてしまうわけですが、ここで「心理学」の用語に「生理学」的な意味を付与してというのは、そうした脱自=エクスターズ(エクスタシス)が、身体の力によって成されるということを強調したいからでしょう。運動の目的を自身の内にもつダンスは、筋肉感覚が自ら体内を走り(探検して)廻り、加熱=陶酔しながら「私」というものをなくさせ、人称的な「私」によっては意図し得なかった境位に至らせる、という(ふうにヴァレリーは考えていた)わけです。


これは、一つの極限です。ヴァレリーは、具体的な劇場や舞台を明示するわけではなく、言ってみれば摩訶不思議な抽象空間での「ダンス」を描いており、それはこう言ってよければ「純粋舞踊」を想定=思考実験しているわけです。実際の舞踊はそうはゆきません。踊るには具体的な場があるわけで、その空間性や時間性から逃れることはできません。言い換えれば(ヴァレリーの言うように)「外在性をもたない」というわけにはゆきません。
とはいえ、これを一つのモデル(一つの極)として思惟することはできます。
さて、反対に、外的な作用、例えば共演者などの影響を受け(続け)ることを条件としている踊りもあります。ヴァレリーモデルのような内に閉じた「一人(独(ソ)舞(ロ))」ということがそもそもない踊りです。スティーブ・パクストンらによって始められたコンタクト・インプロヴィゼーションです *5
【S・パクストンの写真 ⇒ モノクローム・サーカスとCI co.の写真 ⇒ 映像(fall after newton1、1分55秒位まで)】



体と体を触れ合わせ、体重を分け合い、その力や重さの移動を運動の動機とします。ですので、人称的な「私」という確固たる主体にその運動が帰されることは本性上ありえず、むしろ自分一人では意図し得なかったことが、「触れ続ける」という約束事(ルール)によって生まれてくる…そんなことが目指されています。
プヨードは指摘していませんが、人間の重さや力の受け渡しが運動の生成根拠である場合には、床や相手から伝達される刺激をできるだけ素直に受けとるために、肉体を脱力させることが肝要になってきます。「私」という主体の強張りがあってはコンタクトによる運動は続いてゆきません。


まぁ、ヴァレリーモデルにしろ、コンタクト・インプロヴィゼーションにしろ、それらは共に、「私」の意図を超えて、「私というものが無い感覚」という意味での「無私」の境位=状態で、運動が生成してゆくことを理想とするように思います。が、これらは「内」と「外」の二つの傾向の極限であり、多くの舞踊はこれらの間でその存在の針を振っていると言ってよいでしょう。


実際、そう容易く私で無いという「無私」の感覚、言い換えれば「脱自(エクスタシス)」の境位で踊りが生成してゆくわけでもないでしょう。
確かに身体は微細なチューニング能力をもち、意志に依らずとも外界の変化に機敏に反応しながら自ら習慣を更新してゆきます。しかし、ダンスや恐らくは演奏の技術もそうでしょうが、技というのを支えている身体的な記憶力の現前は、思いのほか強固で、特にソロ(それを私たちはヴァレリーモデルとしましたが)の場合、知性による計案ないし判断ということなしに、己の直(ちょっ)近(きん)から直に出てくるものに運動を任せるということは、しばしば空虚な反復に陥る危険があります。そしてそうした危険を回避するために「外在性」を活かすのでしょうが、コンタクト・インプロヴィゼーションであったとしても、同じ相手と繰り返し、馴れというものが生じてくるに従って、運動はしばしば「紋切型」になってきます。
これは、後でも触れますが、実に私たちにとっては致し方ないことでもあります。それは生体の傾向(tendency)――同じ刺激(知覚)に同じ反応(記憶)の回路を作ることで生命は維持され易くなる、ということを知る「生ける物質」の知性――でもあるからです。知覚は、記憶力なしには質を得ることはないでしょうし(例えば「赤」という質は赤色光線の振動を記憶力によってギュッと圧縮していることによって見えているのでしょうし)、現在は過去の恩恵なしには充実しません。赤色光線を赤と見るような人類的な機能にも近い記憶力と、習慣として個人の身体に刻印された記憶力とは、水準を分ける必要がありますが、いずれにしても、身体的記憶力の変質には、それとは存在を異にする精神の努力が要されます。


ですから、例えば、マクシーン・シーツ・ジョンストンの「動きという形の思考Thinking in Movement *6 」 などに見られる即興舞踊の現象学的アプローチというのは、即興舞踊のある一面、特に「即」ということに比重をおく運動を語る際には、参考とし得ても、人間のマインドが多分に活かされる即興、すなわち「興」というクリエイティブな性質に尊さをおく運動には、その言葉が届きづらくなります。つまり、それは日常の切迫した際の運動の記述と大差がなくなってしまうのです。


そこで僕としては、即興表現を、あるいは即興表現についての考察を、即興の「興」のベクトルへと一度グィーと引き寄せて、そのモデルケースを作るないし提示することをしてみたい。それをヴァレリーのように身体の力によって「無私」に到るのとは別に(彼がこのように「下」から脱自の途を探ったのは意義のあることなのですが)、知的努力による「無私」への到達、ということにポイントを置いてやってみたい。


そこで冒頭に述べた劇団<けのび>なのですが(それをダンスと呼ぶかどうかは別として)、こんな時間に立ち会えたらと理念にしていたドラマの一端に触れ得た感じでした。もちろん、嬉々とした以上の分からないモヤモヤに包まれたところもありまして、僕なんかが理想としていたことより、もっともっとこの演出家は遠くに行っていた/いるというのが実情なんですけれども。


それは、役者が(言葉にしろイメージにしろ)何かを知的に探している時の身体的不安、その落ち着かないさまをそのままさらけ出し、またその辿りつけないけれども辿りつこうとして(その「何か」の周りを精神的に徘徊したり、その「何か」に到達しそうで失敗したりしながら)努力する精神の緊張を、直に、僕らに届けるプレゼンテーションだったんです。
現在から離れて浮遊しながら、遠くにまで行っていた役者さんらがアンカー(船の錨のようなものですね)としての発語、それが「呼ばれえた時が違う」という台詞なんですが、それに舞い戻ってくるまでの不時着な時間が、この上なくドラマチックで、<あと少し(でその「何か」に触れそう)>という知的努力、その繰り返しが、発話の身構えに反映されてゆく、そんな変容のプロセスを目の当たりにしたのです。
また、逆にその「何か」に触れようとするにあたって、身構えの方の調整=チューニングを行おうともする。例えば、日常を振り返ってもらえれば思い当たるかと思いますが、ある名前が出てこない時、私たちは五十音で「あ」から始めてみたり、何か思い出せないことを身体的にそのモードに入ることで思い出す時がありますよね、そうしたことに近いことを(この上演において)試したりもしている。ここで「近いこと」と言わざるを得ないのは、その探られている「何か」は、既得のものではないように感じるからです。つまり、観念とイメージの狭間にあって、まだ明確な形をとっていないもののように察せられる。だから、誰かの名前だとか、電話番号だとか、すでに在る既成のものではなく、これから創るもの、創られるもののように思われるわけです。その対象に何とか触れよう、形にしようと、形容詞を使って描写しようとしたり、その輪郭をなぞるように周辺的なことを説明したりもするんですけれど、その形容詞なり説明語をより適切に選ぶにあたって、それを実際に発話することで、その潜在的なもののそばまで近づいているかどうかを体で確かめているんですね。それによって、その探される「何か」は、たとえ僕らには(そしてたぶん演者たちにも)判明には分からなくても、それが僕らに分有されうるというその可能性の高まりが感じられるようになる。
ただこうして言葉にできることからは疎遠なところもあり、特に前半部は一体なんだったんだろうかと、モヤモヤに包まれたままでもいて、それでこの<けのび>の演出家の羽鳥さんと、10月に関西で改めてディスカッションの場を開く予定でもあるんですが、ちょっと映像を流しますので、以上のことに関心をもたれた方は、ぜひ西成の寺川ビルでご一緒して下さい。日が近くなりましたらフェイスブック等でお知らせ致します。
それでは少し映像を流しますね【映像】


  ウラジミール・ジャンケレヴィッチが、「即興者は、自身のテーマをちょっとずつ見つけるのだ、それを探しながら」(Jankélévich : 1998, 121 *7 )と言っていたのが思い出されます。この「探しながら」というところにイタリックの強調がなされていますが、その「探しながら」というのは、まさに自身の身の取り方、置き方に創意工夫や才覚がかかわるということであり、それにより、すでにある「出来合いのもの(le tout-fait)」が、これから創られる「出来ゆくもの(le se-faisant)」に場を譲ってゆき得るということです。


  こうしたことのメカニズムを、(少し込み入りますが)より詳細に探ってみたい。 ジャンケレヴィッチが先人のアンリ・ベルクソンに捉えた「開始の力 *8」としての「力動的図式」というものに注目してみましょう。


ベルクソンの「図式」についてまず一言しますと、図式というものが彼のテキストに登場するのは、第二の主著『物質と記憶 *9 』、および論文「知的努力 」ですが、各々において名称は変化しています。『物質と記憶』では「運動的図式shème moteur」、一方、論文「知的努力 *10」では「力動的図式shéma dynamique」です *11 。力動的図式は、知覚と記憶の「共通の枠」となる運動的図式の発展形態として、機能します。この図式は基本的に「心的な図式」として記憶=イメージが発生する磁場的な役割を担います。その働きは過去一般と言うべき純粋な記憶から、内的に類似する諸々の記憶を「引き寄せることattraction」、そしてそれを現実化すべく「押し出すことimpulsion」にあります。内的につながりのある諸々の記憶がこの図式の内に集められ、現在の知覚=イメージとなるように発出されるのです。
タイトルにある知的な努力とは、そのイメージ化の過程で起こるものです。精神が記憶の内で自身が定める水準を確と採るまでの「揺動oscillation」、「ためらいhésitation」とも言えますが、その揺れは、力動的図式の「指示indication」とその指示に抵触するイメージとの戯れから生じます。従ってベルクソンによるならば、「明確なイメージの到来」により、力動的図式は「イメージの背後に姿を隠し、消え」、知的な努力は止みます。ベルクソンは知的な努力が生じる際のこの構造が、意志的な精神活動のおのおの(例えば、想起、解釈、発明ないし創作invention)において同一であることを示します。
そのため、順次考察される想起から創作までの努力の程度には視点は合わされません。発明ないし創作の努力が「知的な努力の一番高い形式」とは言われますが、その所以は格別詳細には語られません。僕の試みは、その努力の程度を「明確なイメージの到来」に伴う困難度、すなわち力動的図式がイメージを実現化する困難度に比して浮かび上がらせることです。そもそも精神の揺れ動き=ためらいが真に止むのは、図式(「金貨」)が身体という現実的な次元まで展開した時(「小銭」にバラけた時)であろうからです。ここに肉薄して、特に「創作」に伴う努力がどんなものかを捉えてみようと思います。
努力の生じる意志的な精神活動として、想起、解釈、発明ないし創作を順に見てゆくならば、想起における「明確なイメージの到来(はっきりとイメージがつかめること)」は、いつどこでなにをしたという「或る特定の期間」の思い出が、「その期間全体から」呼び起こされると言ってよいでしょう。ではその特定の思い出を生じさせる際に、身体には如何ほどの努力が強いられているか。これは、先にもちょっと話題に出しましたが、当の思い出せなかった記憶がそれと関連あると思われる動作をしている時にしばしば想い起こされることを考えれば容易いでしょう。つまり、想起自体、もともと或る身体の構えに多くを負っているのです。勿論、想起された記憶そのものも、力動的図式による過去の新たな再構成なのですから、そこで採用されうる身構えも、新たに創られたものだと言わなければなりません。しかし、その身構えはあまりに既成な身体/運動の図式に負っているでしょう。そこに大きな努力は要しないように思われます。
では、解釈においてはどうでしょうか。ベルクソンによれば、解釈は「意味(方向sens)」の「仮説的な」投射と言えます。解釈の典型と言える、読書ということで考えてみると、読み手は目の前で展開する知覚対象から「示唆suggestion」されることで、その展開する思考に寄り添うべく、自身の「(心的な)調子ton /構えdisposition」を採ります。その採った調子から「全体」としての「唯一の、単純な、不可分な表象」としての「意味」が仮説的に想定される。その想定された意味は、知覚へと投射され覆いかぶさることで知覚イメージを豊饒にする。となれば、「明確なイメージの到来」は、「仮説」が仮説で無くなった時と言えるでしょう。つまり、以前仮説的に投射されていたものが、今度は仮説を「示唆・暗示suggestion」する役目を負う時と言えるのです。であれば、解釈において、努力の程度は、先の想起の際に比べてより大なるものだと言わざるを得ません。「仮説」を確固たるものにすべく、新たな技術の獲得が要請されもするからです。未知の外国語に接する際のことを考えてみれば分かり易いでしょう。それは、創作に比する努力を要するほどかもしれません、しかし、解釈は多くの場合、創作に比べて、依然として既成の身構えに負っています。「意味」を仮説的に受け取る身構えが、そこでは前提となっているのです。
では、創作ないし発明における努力の程度はいかなるものでしょうか。創作とは未だ無きものを、知覚世界に創り出すことであり、であれば、「唯一の、不可分な」「全体」としての力動的図式が、知覚世界に現れ出るには、知覚世界と記憶の架け橋である模倣的運動もが同時に構成されなければなりません。そこでは新たに創られつつあるイメージを受け入れる身構え自体が、解釈の時以上に仮説的にならざるを得ない。「仮説を暗示し、遠くから[記憶イメージの]選択を司り」、「知覚を継続させ、知覚と思い出されるイメージのために共通の枠の役目を果たす」模倣的運動が本来の任務を遂行し得えないわけです。より言うならば、身構えが創りかえられなければならない。「明確なイメージの到来」をなす身体は、自身でも創り得るまで知られ得ぬ、未知なるものとなるでしょう。イメージが知覚世界へと現れ出るには何らか既成の身構えに負わざるを得ないでしょうが、解釈の時ほど「その使い勝手が分かるsavoir s’en servir」身構えに頼ることはできません。程度の問題ですが、創作の時は、特に身体の構えそれ自体の刷新と、「明確なイメージの到来」、言い換えれば創造的イメージの出現とが分かちがたく結びついているのです。


以上のことは、同時に、力動的図式に引き寄せられる過去の多さの違いにも目を向けさせるでしょう。想起は、ほぼ既成の態度に応じる「主要な思い出souvenirs dominants」を対象とし、解釈は、仮説的である分、想起よりは多くの思い出を活かすことになるでしょう。全ては程度の問題です。したがって「~より」、「~に比して」としか語れないのですが、創作においては、「遠くから選択を司る」模倣の運動としての身構えを構成しなおすことが要される以上、力動的図式はより純粋な記憶で満たされていると想定され得ます。
かくして、創作における力動的図式は、既成の知覚に対応する記憶を単に押し出すのではなく、真に何か未だ形を持ち得ないものを「発出する」という荷を負うことになるでしょう――その分努力も大きいわけです。それは想起や解釈に比して最も「開始の力」として存在しているように思われます。未知なる実在を世界に打ちたてようとする行動への「衝動impulsion」、あるいは「はげましincitation」として。


<けのび>のあの舞台は、この定義し難い表象に訴えかけ、そのイメージ化の過程そのものをプレゼンテーションしている(と考えられます)。新たなイメージを発出しようとする精神の緊張を、身体の記憶と密につながる古いキネステジークなイメージとの撞着(ぶつかり合い)を、リアルに現前させている。この可視化=直接的伝達が、私たちに「その場で(イキイキと)何かが生まれている」感じを与えるのではないでしょうか。


何かを想い起こすのであれ、世界を解釈するのであれ、あるいは未知のイメージを創り出すのであれ、その際に表れる、程度の異なる顔面の苦痛や緩み、体の震えや動き、それがダンスとして見える、これは極めて即興的な在り方でしょう。そしてそれが「美学以下」別様に言えば「制作術以下」と言い得ないのは、演出によってその身振りの集合が「作品」になり得ているからです。


それがいまや私たちに「作品」として容易に捉えられ得るのは、インストラクション(指示)による作品構成術が私たちの間にも浸透・普及し、それを作品らしく感じ取ることのできる感覚が身についてきたからかもしれませんが、知的な努力という精神の営みを、無私にも到りうるその過程において(不安や失敗と共に)呈示せんとする試行=演出 *12 は、舞台の枠を超えて日常の生を多分に刺戟する作術になり得るようにも思われます。個人の身体の力や身体間の相互作用によって未知なる何かに到る、といういわゆる「ダンス」とはまた別の、生の高揚を味わわせてくれます。


ご清聴ありがとうございました。


*1.したがって彼らの活動は、60-70年代にアメリカで展開されたいわゆる「ポストモダンダンス」に直接的ないし間接的に参照を求めることができる。サリー・ベインズの Therpsichore in sneakersの仏訳本(2002)に添えられた訳者の序文には « Un miroir tendu à la danse française actuelle »と題する節があることも注視されたい(cf. Sally Banes, Terpsichore en baskets, post-modern dance, traduit de l’américain par Denise Luccioni, Chiron : Paris, 2002, p. 10)。


*2.Cf. Frédéric Pouillade, « Scène et contemporanéité » in Rue Descartes n°44, PUF : Paris, 2004, pp.15-18. Voir également Céline Roux, Danse(s) performatives(s), L’Harmattan : Paris, 2008.


*3.Cf. Paul Valéry, OEuvres, tome1, Bibliothèque de la pléiade, Gallimard : Paris, 1957, p. 1396. 原文は以下の通りであるが、邦訳者によって訳はそれぞれ微妙な違いを見せる。筆者は松浦訳と意を同じくし、より意訳を試みた。« Il lui apparaît que cette personne qui danse s’enferme, en quelque sorte, dans une durée qu’elle engendre, une durée toute faite d’énergie actuelle, toute faite de rien qui puisse durer. »


*4.この文章は以下の続きを持つ。「この共鳴は、他のあらゆる共鳴現象と同じく伝播するものです。観客としての私たちの快楽の一部分は、リズムによって私たちがとらえられ、私たち自身もまた潜在的に踊っていると感じることなのではないでしょうか」(ibid., 1401)。観客の問題は別の機会に譲りたい。


*5.2009年の5月、S・パクストンは34年ぶりに来日。横浜でのワークショップでは、(もう何百回と口にしてきたことなのだろうけれど)コンタクト・インプロヴィゼーションの創始者と言われることについて「私(だけ)がコンタクト・インプロヴィゼーションを始めたのではありません。それは一人ではできないのですから」と普通に言っていた。当たり前、と言えば当たり前なのだが、それはとても印象的な言葉だった。


*6.Maxine Sheets-Johnstone, “Thinking in Movement”, The Journal of Aesthetics and Art Criticism, Vol. XXXIX, No.4, summer 1981, pp.399-407. 瀧一郎 訳、「動きという形の思考」、尼ヶ崎彬 編、『芸術としての身体 舞踊美学の前線』、勁草書房、1988年、pp.181-204。


*7.Cf., Vladimir Jankélévich, Liszt, Rhapsodie et improvisation, Flammarion : Paris, 1998, p.121.


*8.Cf ., Vladimir Jankélévich, Henri Bergson, PUF : Paris, Quadrige, 1999, p. 113.


*9.Cf., Henri Bergson, Matière et mémoire, PUF : Paris, Quadrige, 1999, chapitre II.


*10.Cf., Henri Bergson, « L’effort intellectuel » dans L’énergie spiriuelle, PUF : Paris, Quadrige, 1999, pp. 153-190.


*11.« shème» と « shéma» の違いについての言及も含め、ベルクソンの図式についての論考として、次のものは必見である。関心のある方は参照されたい。瀧一郎、「努力の機構(メカニスム)――ベルクソンにおける「運動図式」と「力動的図式」――」、東京大学文学部美学芸術学研究室紀要、研究10、1991年、pp. 163-185。


*12.劇団<けのび>における「演出」は、「複数の集合に貫通する働きかけ」のことであり、それは「教え」や「心がけ」とも言い換えられ得るものである。Cf.『演出集1 しかしグッズ』、けのび、2012年。

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