日本音楽即興学会(JASMIM)2012大会報告



【発表者】
若尾久美 / Kumi WAKAO
mesostics運営、作曲・即興演奏

【演奏者】
三宅博子(クラリネット)
光永惟行(サックス)
植川ゆかり(サックス)
新木ありこ(ホルン)
森川訓江(琴)
日吉直行(ピアノ)
木下和重(バイオリン)
磯端伸一(ギター)
三宅珠穂(テルミン)
和田良春(ベース)


【要旨(大会抄録記載)】


映像楽譜とは発表者の造語で、固定カメラで捉えた身近な風景などの映像を1枚の絵楽譜として捉えなおし、図形楽譜を読むように演奏を試みる作品とその方法。実際の制作は、最初に映像を録画し、次にその演奏ルールを決め、それに従って1パートずつ多重録音により演奏、その後すべてのパートを映像に同期させる、という方法でおこなっている。このため、作業途中はサウンドの全体を聴くことがなく、すべての作業が終了してはじめて全体の音楽結果を聴くことができる。サウンドは映像に固定化してひとつの作品としている。


今回はサウンドの作り方を変えて、このような方法ではなく、楽譜という視点により多くの焦点を置き、多重録音ではなくアンサンブルによるライブ即興演奏で映像楽譜のリアライゼーションを試みる(映像を上映しながら演奏する形態)。


ラウンドテーブル討論では、主に映像を楽譜として読み取る際の視点についていろいろなアイデアや意見などを交わしたい。


キーワード
1. 映像楽譜
2. 図形楽譜
3. 即興演奏


議論したい内容
1. 楽譜と即興
映像楽譜は即興力、即興性を必要とする楽譜の形態であるが、楽譜と即興はどのような関係を持ち得るのか?
2. 図形楽譜の時間と映像楽譜の時間
図形楽譜と映像楽譜の決定的な違いは、その時間の取り扱いにある。従来の図形楽譜の演奏時間は演奏者にゆだねられる場合があるが、映像の場合は時間設定が完全に決定されている。映像の時間と演奏の時間を同期すること以外にここでの時間の取り扱いは可能か?
3. 読譜の基本的概念と今後
楽譜の上部は高音、下部は低音を表し、楽譜の時間は右へ右へと進む。この習慣的基本的読譜方法以外に今後の可能性はあるのか?


【報告】


わたしは音楽の中でも特に楽譜に興味があって、それで作曲にも興味を持ったのです。楽譜を書くという行為が好きでした。小学生のころ、ジョン・ケージの図形楽譜についての記事を朝日新聞で読みました。とても興味を引かれました。


それで、なんとか苦労して大学の作曲科に入学したのですが、入学するとすごいプロが多くて、それはまた別の話なのですけど、やっと学校に入れて、作曲の先生に「図形楽譜やりたいのですけど」って言えば、「ダメ、ダメ、ダメ、ダメ」と言われました。しかも1年生の時は、「調性があるのじゃないとダメ、ダメ、ダメ、ダメ」って言われて、もうホントに失望しちゃいました。


今それをリベンジしているわけじゃないのですけど、朝日新聞に載っていた、多分「針生一郎」っていう人だったと思います。解説委員だった人。昔はあまり情報がないもので、私の情報の多くは朝日新聞だったのです。


それ以来、図形楽譜にとてもあこがれていて、「ダメ、ダメ、ダメ、ダメ」が終わった後は、図形楽譜をやっていました。この学会でも図形楽譜を自分のペースでやっていけるな、と思って、去年までも発表をしました。


今年は図形楽譜を展開させて、映像を作り、その映像に自分1人で、何10回、ほとんど100回近く自分でコツコツ音をつけていました。


ある時、「即興でやってみよう、即興のミュージシャンにお願いしてみよう」と思いました。今回、メインでやるのは2回目ですが、即興演奏に長けたいろいろなミュージシャンに時間を開けていただいて、来ていただいた、という幸せな状況に今あるわけです。


私は即興というのは…、楽譜というある意味権威的なもの、私にとっては楽譜は神聖なものなのですね、楽譜様だったのです。だけど即興というのは、一つの目的として権威的なものや神聖なものをつぶしていく力があるんじゃないか、それが即興の面白いところじゃないかと思っています。実際には映像という楽譜があるのですけど、即興が音楽を作っていくことができる、という意味で、きいていただければありがたいと思います。


4曲あります。合計20分位で、最初の3曲がそれぞれ3分位、4曲目が10分位です。最初と2番目の曲はリハーサルをしました。「誰が何をする」ということを決めました。ですから「誰がどうしているのかな」というのを見破るつもりできいていただけると面白いかなと思います。


3曲目もリハーサルをしました。


4曲目は全くリハーサルをしていません。なぜかと言うと、即興ってリハーサルしない方がいいでしょ? 私もみなさんも同じで初めてきく音になります。もちろん演奏者の方々も初めてです。


1曲目です。「離さないで」というタイトルです。このころカズオ・イシグロの「私を離さないで」という小説を読んでいたのでそこからもらいました。


1曲目の演奏


つぎは2曲目です。私住んでいる家の一番近い駅は出町柳駅で、そこから大阪行きの京阪電車が出ています。それに乗ると外国(のようなところ)に行けるのですよ。すごいです。京都に住んでいると、大阪に行くと何もかも違っていて、そういうところに行ける駅です、私にとって。そこに最短時間で行ける「特急淀屋橋行き」にスポットを当てて掲示板を見ています。


1-2曲目は2-3年前の古い映像ですが、演奏は今日初めてです。


2曲目の演奏


つぎは3曲目です。この夏、8月に京都の近くの保津川、1人のアーティストの方が保津川の水の中の音を録ると言われたので、私も一緒に行って雲、空を撮りました。


3曲目の演奏


つぎは4曲目です。よく見るような風景が日によって違うのが好きなのですが、これは近所の川の土手です。通勤の人がいる午前7時半から8時位の時間です。その日、京都付近は、正確な情報かどうかわかりませんが、800年に1度、太陽と月が1直線になって、部分日食らしいと。世界全体ではめずらしくはないけど、家の辺りではめずらしい。河原の土手の木漏れ日が、一つずつが金環食のようになっているという映像です。10分位です。リハーサルは全くしていません。


4曲目の演奏


演奏者紹介(略)


これで発表は終わります。


司会: ありがとうございます。ラウンドテーブルということで自由にディスカッションなのですが、何かお聞きになりたいこと、問いかけたいテーマは、どなたでも。


(ラウンドテーブルの)発言者: すばらしい発表ありがとうございました。映像楽譜ということで楽譜とされていますが、同じ映像に対して、他のミュージシャンが演奏しても、同じように演奏してもらいたいと思う楽譜なのか、または全然違う演奏でよいのか、演奏者がどのように解釈するのか、どのようにお考えですか。


若尾久美: そのことはいつも自分自身でも疑問に思っています。最初全部自分1人で演奏していました。ある時、100人いれば100人それぞれ演奏することができる。そんなにシビアな楽譜との関連付けじゃなくても、即興演奏という演奏の空気を読む力があれば、即興で映像を読むということが可能じゃないか、ということを試してみました。


今日はメインでは2回目ですが、映像楽譜のよいところは、演奏する度に違う、演奏する人によって違う、と思っています。


発言者: 演奏された方がどのように感じられたか、お聞きしたいです。


司会: では順番に一言ずつ。


発言者: 私も聞きたいのでお願いします。


演奏者: ぼくは2回目で、前にも演奏しましたが、1回1回の捕らえ方が違うので、新しく、演奏の音も違います。その時の状況によって違います。


演奏者: 曲によってアプローチの仕方が違いました。最初の2曲はがっちり役割が決まっていて、作曲作品を演奏するような気分で演奏しました。3曲目からはしばりが緩い、演奏上のルールがそれほど設けられていない、演奏者の解釈する度合いがあったので、空間移動してみようかな、というようなアイディアがいっぱい浮かんだので、それはポジティブ、というか、積極的に関われたと思います。


演奏者: 今日初めて参加しました。最初は、ここがこうなったら、こうなる、というのを一生懸命追うだけでした。映像を見るのも初めてでした。次は、人がどう演奏しているのかな、というのを、きいている、それで変わってくる。ですから、回数を演奏する度に、バランスとか、どこまで忠実に演奏するか、というのが変わってくるような気がします。


演奏者: 私は2回目です。よく町中にある映像なので、普段何となく見ているのですが、自分が演奏するとなると、その映像の意味、見方が変わっていくのが面白いと思いました。


演奏者: リハーサルをするのとしないのでは全然違うと思いました。この人数だとリハーサルをした方がいいなと思いました。


演奏者: 4曲目でルールはないので、ボーッとしちゃって、演奏に集中しすぎて、他を見て、映像楽譜を見ていない、という時がありました。


演奏者: リハーサルの時に、自分のイメージと久美さんのイメージをすり合わせる、どこに自分が位置するか、に難しさを感じました。リハーサルや指示があったので、ストイックになってしまった部分がありました。それらがなければ、みんな思い切って出たのかな、と思いました。


発言者: 興味を持ったのは、リハーサルとステージと異なるのか、他の人の演奏がどの位影響を与えているかです。


若尾久美: アンサンブルで即興する時と似ているのでは。


発言者: 映像あるなしで、その影響はどれほど変わるのかなあと。


若尾久美: 最後の曲は、もし映像楽譜でなしで言葉でこういう風にして、と言っても、そのような演奏になると思います。では、何のために映像があるのか、というのは、1つはゲーム感覚です。今回は静か目になりましたが、あれを悪夢のような状況で演奏することも言葉で、話し合いでできる。


私は即興と映像楽譜の幸せな出会いと思っているのですが、即興演奏者でないとできない。


発言者: ミュージシャンのセレクトの段階で音楽がかなり決まってくるんじゃないか。その辺で演奏の第一段階が終わっているような。


若尾久美: これをやろう、と思っていること自体が、そういう世界に入っている人じゃないか。


発言者: こういう人に頼めばこういうふうになるだろうと予測は持っている?


若尾久美: 演奏をきいたことがある人ばかりなので。その問題については、私以外の人が主催してみてほしいです。


司会: 発表要旨を見ると、映像を楽譜として読み取る時の視点について議論を交わしたい、とあります。今回は、リハーサルありとなしの2種類あります。前者の視点は?


若尾久美: 最初の2曲は、時間があれば話し合いが可能ですが、今回は私が、楽譜として読む方法を決めました。


3-4曲目は全て自由。3曲目はトンボが止まった時だけ、1人の方にトンボの役をお願いしました。後の方は雲の輪郭というあやふやな、あってなきかごとしのものに音を重ねていってもらった。


ということで、自分で決めていった。最初の2曲は、3年前に映像を作りました。楽譜として風景を読むのは可能なのか、読めるとすると、どういう楽譜なら、見た人がはっきりとすんなりとわかるのか、という疑問がありました。


演奏者に全く初めて映像を見てもらうと、わりと楽譜としてわかってもらえたことが多かった。では逆に楽譜というより空気感を出しているのはどういう映像だろう、雲とか、わけわからないごちゃごちゃしたもの、というように映像楽譜を広げていきました。


司会: 1-2曲はこれがこれという、はっきりとした楽譜に近いもので、後の曲は演奏者による解釈を期待して、より自由なものを使ったと。


若尾久美: そうですね、最初のころは楽譜として撮影した映像を、全て自分で解釈して1人で多重録音していましたが、それから離れていきました。1人でするなら楽譜というより自分でやっているだけですから。


最近になって、今年になってからですが、他の人が楽譜として読む時、どのような解釈をしてもらえるんだろう、それを問いたいと思いました。


私はどうしても、楽譜は上は高い音、下は低い音に見えちゃう、今でもそうです。左から右に進むのが楽譜だと思っちゃって、音楽用語で(位置が高い低いと同様に)音が高いとか低いとか、おかしいんじゃないか、といつも思うんですけど、何かいまだに逃れられない。あまりにも長い歴史を持っているのかな、と思ったりしています。


発言者: ぼくも実は映像を映しながら演奏することがあります。楽譜というのではなく、映像と共演する。初見というか、楽譜とは思っていない。それと(この映像楽譜は)どう違うのかなあ、と。


演奏者: 映像だとどこを捕らえてもいいし、全体でも一部でも。


発言者: 形を見るのか、動きを見るのか、量を見るのか、スピードを見るのか、それぞれ違う。自由。


演奏者: 楽譜なのでパートがある、選択の自由がない。最後の雲の曲も、金環食、雲の輪郭を見るという指示があった。


演奏者: ぼくもよくやるのですが、映像と自分との関係をどう作るか。


発言者: 仲間がいるときは三角関係。


演奏者: そうですね。指示があれば、その楽譜様みたいな、自分勝手なことはできないなと。


司会: 若尾久美さんが後半の曲で意図したものが、演奏者によってどう異なるか、というのをきいてみたかったですが、残念ながら、時間を過ぎてしまいまして。どうしますか、しめますか。


発言者: 1点だけ。演奏者の方の感想よりも、ぼくは、若尾久美さんの、楽譜の存在論というか、作曲行為という存在論を追及しておられる、それは決して即興と相容れないものではなく、両者の関係をある方法で突き詰めようとしておられるのでは、と感じました。


若尾久美: そうです。


司会: ありがとうございました。


前のページに戻る