日本音楽即興学会 JASMIM

The Japanese Association for the Study of Musical IMprovisation
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ニュースレター

 齋藤徹さんにインタビュー#1/3

記載:2011年1月5日

JASMIMレター0024(2011.1.5)
[齋藤徹さんにインタビュー#1/3]
インタビュアー・編集:若尾久美

コントラバス奏者で作曲家の齋藤徹(SAITOH Tetsu)さんに、音楽のこと、予定されているツアーのこと、学会のコンテストのことなどについてお伺いしました。齋藤さんはブログに『即興に関するよしなしごと』と題して音楽に関するさまざまな思いを演奏体験を通して書いておられます。併せてお読みください。

本文

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JASMIMレター0024(2011.1.5)
[齋藤徹さんにインタビュー#1/3]
インタビュアー・編集:若尾久美
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インタビュー日付:2010.12.25

新年あけましておめでとうございます。今年もJASMIMレターをどうぞよろしくお願いします。

コントラバス奏者で作曲家の齋藤徹(SAITOH Tetsu)さんに、音楽のこと、予定されているツアーのこと、学会のコンテストのことなどについてお伺いしました。齋藤さんはブログに『即興に関するよしなしごと』と題して音楽に関するさまざまな思いを演奏体験を通して書いておられます。併せてお読みください。

http://web.mac.com/travessia115/tetsu/tetsus_Blog/tetsus_Blog.html
http://web.me.com/travessia115/MLT2011/Blog/Blog.html

また2011年10月にはミシェル・ドネダ(s.-sax.)、ル・カン・ニン(perc.)との日本ツアーを企画中です。こちらもご覧ください。
http://web.me.com/travessia115/MLT2011

———–(インタビュアー) こんにちは。ブログ(連載『即興に関するよしなしごと』)増えましたね。

(齋藤徹) あ、あれね。まとめてキチンと書こうと思ってなくて、その場の思いつきですから、けっこう重複とかミスとかありますね。スミマセン。今年10月のミッシェル・ドネダ、ル・カン・ニン招聘に合わせて、「即興」の話をなるべくやさしい言葉で少しまとめたいな、と思ってのことです。いろいろな人が、あーだ、こーだ言うきっかけになればと。

———-すごく大切なことを書いておられて・・・中でもダンスのことにたくさん触れていらっしゃる。

ダンスとの関わり、美術との関わりは多いんですよ。そして長続きしています。

———-いいですね。哲学的なことにも触れておられ、幅広いことを書かれています。

あまりにも即興に関して書かれたものが少ないですよね、日本では。

———-はい。みんな自分の即興ではこう、というようなことは書けても、即興というものは何か、ということはいままで論じられたことがない。音楽療法における即興とか、improvised musicみたいな括りにおける即興とか、区切れば多少あるかも知れないけど・・・。

区切りたくないですよね。

———-音楽における即興、という意味で。

いやもっと大きく捉えて、人間の生きてることにおいてのトピックとして考えたいです。

———-ブログの最初のほうに「即興やフリージャズが嫌いだった」て書かれていたんでびっくりしたんですけど。

えっとね、前提として、若いときに、こういう生き方してるとは全く思っていなかったことがあります。今でも、嫌いな即興やフリージャズあるし・・・。

———-それは学生時代のころですか?

そう。学校出る頃は、卒論、一生懸命書いたわけですよ。

———-へえ、卒論はなんだったんですか?

えっとね、日韓近現代の歴史を元にいろんなこと考えたんですよ。歌も入ったりして。

鶴見和子さんのところのゼミ生だったんですよ。「絶対これは形にして大学院に来なさい」と言われてもね・・・とってもそんな・・・。当時、自分が書いてるものが、だんだん、なんていうのかな、嘘・・・筆が走っているような気がしてね。上手に書けば書くほど、すっごく嫌になってきたんです。だから院に行くのはやめて、嘘がつけないもの探して。「ベース弾くもんね」ってなっちゃった。今思うと勇気がありましたね。今ならとても決断できないし、まし て人に勧められない。

子供の時ちょっと音楽やっていたもんだから、ああ、そういえば音楽って絶対嘘つけなかったな、っていうのが身体のどこかにあって、それが一つのきっかけだったと思います。この道にはいっちゃったのはね。文字から逃げて音へという感じです。

———-即興演奏をされるようになったのは?

時代的に「自由」に憧れる雰囲気はありました。あとはよくわかりませ~ん。

———-80年代くらいですね。まだ日本で即興とかやっているのはほんの一部の人だった。

そうですね、まだごく一部を除いてフリージャズがほとんどでした。わりと早い時から外国に行って演奏をする機会があった。で、アトランタで演奏した後におばさんが来て「あー、今日は素晴らしかった。だけどなんであなたがこの楽器、コントラバス弾いて西洋音楽を演奏するの?」って聞かれて、その質問がけっこう大きかったですね。なんでだろうなって。

———-すごいこと言いますね。

ねえ、あんまり普通には・・・。

———-言わないですよ、普通そんなこと。

何を聞いてるのか真意はわかりかねたんですけど・・・。それが身体のどこかに引っかかっちゃいまして。なんで、アジアの島国ニッポンの人間がこうやって西洋の楽器やっているんだろうって。アメリカ人が着物来て演歌やってるのと同じじゃないかって。

———-そうか、そういうイメージだったのかな。「日本人がなんで」というのは。

そう捉えました。一方、ヨーロッパで、例えば教会で、演奏すると、コントラバスが本当に良く鳴るわけでして・・・でも、いまさら邦楽器に楽器を換えるわけにいかないし(笑) このコントラバスと言う楽器を、2点で糸が張ってあって、それを擦ったり叩いたりひっかいたりして音を出す装置だという視点に遡って対峙していこうと思ったんです。その視点で虚心にそして懸命にやれば、私にしかできないこともでてくるかもしれない、なんて夢を見て・・・。

日本に帰ってきて邦楽とか、雅楽とかの世界に、どんどん接近して行きました。そして、その背後にはアジアが・・・私は一体何者だろう、という感じ。「勉強したものでは勝負はできないんだ」というのが漠然とあって、自分の中にあるものを、ソフィスティケートしてとか、こう、高めていくしかないだろうな、と。世界で一人で立っていくためには。

そのときに、即興っていう方法がすごく魅力的に思えたっていうのはあったかもしれないですね。あくまで今思えばですが・・・。

———-ジャズされていた時期があるんですか?

そうなんです。人目につくところでやり始めたのが、85-6年ですかね。すぐに高柳昌行さんと富樫雅彦さん、この巨匠二人のグループへ同時にはいっちゃってるんですよ。恐いもの知らずですまったく。

———-最初からそんな出会いが?

最初から(その世界では)一番上行っちゃった。日本ジャズ界のことを何も知らないで、一番上の方行った感じでした。誰も知らないし、挨拶も知らないし。でも今思うと本当に貴重な経験でした。クソ生意気だったでしょうね~。ごめんなさいしかない。

———-それは出会いっていうか、そういうチャンスだったんですね。

お二人はフリージャズやインプロを実践していてね。ものすごく好かれたり、ものすごく嫌われたり・・・時期を同じくして86年にアルゼンチンとか韓国とか行くんですよ。歌と踊りの国ですよね。また初録音ソロ「TOKIO TANGO」もこの年です。大きな年でした。

———-韓国のことは、研究されていて音楽のことももうかなりご存知だった?  いや、全く知らなかったですよ。歴史だとか文学だとか、そっちのほう、それも結構いい加減で。

———-韓国語は話されてたんですね。あの時代韓国語をやる人って、ほとんどいない。

確かに珍しかった。街で道を聞かれて答えたりしていました。最初は78年ですよ、関釜フェリーで行くのに国鉄の学割が使えて。しかもまだ戒厳令(夜間外出禁止令)下。あーこれは日韓現代史まっただ中だと思いました。

———-考えられないですよね。そういうところから出発された、っていうのが、学生時代の研究と結びついちゃってる。

イヤ、それが学生時代です。韓国をやらないと日本は分からないんじゃないか、っていうことがありました。でも、それが将来、自分の仕事・音楽に結びつくとは全く思わなかったですけど。

———-ヨーロッパのほうから入られたわけじゃないんですね。

違います。韓国のシャーマンとのつき合いや共演(韓国制作で6枚のCD)の他に、アルゼンチンの影響も大きくってね、エキストラで行っただけなんだけど巨匠オズワルド・プグリエーセさんと共演もして、ものすごく大きい経験でした。ちょっと知っていたアストル・ピアソラがタンゴの異端や前衛ではなく本流だということも実感し、帰ってきたときはいっぱしのタンゴフリーク。

———-人と出会うときに、迷わないでピンポイントでうまくいってらっしゃるみたいです(笑) いろんな活動をしている人とあっという間に結びつかれたんですね。

積み上げてっていうんじゃなかった。運が良いだけ。

———-そういう経験で一挙に自分の世界ができちゃたんですか。

よくわかりません,ホントに。自分の音楽の才能はそんなたいしたことない、ってこの歳になれば充分わかるけど、人と会う才能はかなりありますね。エッセンスみたいな人に会えちゃう。じゃ、それをどう活かすか? 自分が橋になって繋げるのが仕事と思うようになりました。自分のレーベルの名前をtravessiaとした理由でもあります。

———-齋藤さんのブログに「いい演奏とかうまい演奏」は逆に自分を束縛していってる、ようなこと書かれてますね。今話されているのも「いい演奏、うまい演奏をやろう」ということではないと思うんですけど、去年学会で「よい即興、わるい即興」というテーマがありました。これについて思われたことがあるんじゃないですか?

私は、「即興しかやらない」というのじゃなくて。音楽が好きで、歌も踊りも大好きなんですよ。今でも音楽ファンなんです。音楽にこだわりなく隔たり無く、いつもかかわりたいと思っているんです。しかもそれを自分の「仕事」にしてしまった、これは大変です、別次元です。即興にも歌・作品にも同時に関わっていると、即興や、歌の良さがよりハッキリ見えるとも思ったりもします。音楽以外のジャンルの人とは割とすぐ話が合うんですけどね。

———-バッハみたいな曲も弾かれますね。

先日、喜多直毅(vl)とはリュリやマラン・マレをやった後、インプロをやりました。さとうじゅんこ(歌手)とは、自作の歌(乾千恵作詞など)や、ジャワガムラン、ブンガワン・ソロ、ビオレータ・パラ、最上川舟唄、真室川音頭、はてはザ・ピーナッツのヒット曲まで、です。あまりうまく弾けませんけど(笑) そしてその間にインプロを入れました。

———-そういう音楽のジャンルを分けないという感じが、即興ということからはちょっと珍しいな、という感じがします。

あんまりよく思われてないかもしれない。

———-(笑)それは・・・どうなんでしょうか。

(笑)即興なら即興しかやらない人の方がわかりやすいし、仲間もファンもスタッフもできやすいでしょ。曲の方から即興をよく思わない人はそれほど目立たないけど、即興やっている人が、「あいつ、歌なんかやりやがってとか、今度はタンゴだってよっ」とかうっすらと聞こえてくる。成人してから始めてる、生き方としてやってる。いい音楽家、いい演奏家になろうと思ってやっているわけじゃないんで。自分としてはいたしかたない・・・。

———-齋藤さんからみたらいい音楽、わるい音楽というより・・・。

生き方そのものですからね。その時々で懸命にやってきただけなんで、ジャンル分けの考え方自体がちょっとなじまないですね。いままで50枚近くCD出していますが、「ジャンル」で分けられないものばかり。

———-ジャンルに囚われるということかおかしい。

それでも、自分の中で即興か作品演奏かによって、場所や日時を分けてきました。頭や身体の使い方とか絶対違うはずだし,と思ってね。でもこのところ、一緒に演奏することも試しています。それほど違和感なく、自然にできるようにもなっている、それが自分の中での発見だし、これでいいのかも、と思うようにもなりました。自分の中の即興と歌とのジャンル分けも、やっと、無くなってきたのかもしれません。


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