日本音楽即興学会 JASMIM

The Japanese Association for the Study of Musical IMprovisation
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ニュースレター

 歳森彰さんにインタビュー#2/3

記載:2011年1月19日

JASMIMレター0028(2011.1.19)
[歳森彰さんにインタビュー#2/3]
インタビュアー・編集:若尾久美

本文

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JASMIMレター0028(2011.1.19)
[歳森彰さんにインタビュー#2/3]
インタビュアー・編集:若尾久美
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(歳森彰) そんときにジャズに関してね、「あれ?」っと思ったことがある。

———-なんですか?

2つあって、ひとつは即興性ていうのが少なくなっているんじゃないか、昔は、なんかしら即興性を追い求めていた――気分だけかもわかんないですが――態度とか雰囲気ていうのを共有していた。最近はそういうのが減少してるんじゃないかと。それで「あれ?」と思いました。

もうひとつは、演奏の場に関してライブハウスがバンド主催になった、ということです。

———-そうですね!

かつてはライブハウスが主催して、それでギャラをミュージシャンに渡していた。今はもう、ほとんどがバンドが主催して箱代をライブハウスに渡す。そういう演奏の場が変わって来ている。箱はどんどん増えていってる。うどん屋さんでも、どこでも。それはプレイヤーが増えているんですね。

20世紀は大衆はリスナーだった。けれど、この21世紀は大衆はプレイヤー。そんな人たちがどんどん演奏するのは、いいことです。聴くだけより演奏する側にまわればいろんなことがわかる、とてもいいことです。ですけど、とりもなおさず、言葉みたいに受けるだけじゃなくて発する――コミュニケーションの媒体だけど――音楽の演奏も本格的にコミュニケーションの媒体になっていってるんだなと。子供が言葉を間違えながら話すときには間違いを直してあげるけど、おおむね内容をやりとりしますよね。そんなふうに音楽演奏だっ てレベルなんて問わないでやりとりするコミュニケーションになっていってる。そういうふうに演奏の場が変容していってるのを感じます。

———-かなり前からだんだんと。

ええ、これはどんどん進んでいくと思います。演奏を人に聴かせるというのは、レベルを問わずにとっても重要なことだと思います。それによってすごく、なんらかのいいことがあるはず。でも、かたや「自分がどういうところでどのような演奏の場で演奏すればよいのだろう?」と考えたときに、自分自身としては絶望的なところがあって・・・。

———-絶望的というのは?

演奏の場が変容していっている、ということに対してです。そういう演奏の場ていうのはどうしてもクローズドな、より小さく小さくなっていきますよね。近所の居酒屋さんとか・・・それはそれでいいんですけど。なんらかの不特定多数に対して、不特定多数を前に演奏しないといけないのじゃないかと思います。

もちろん有名ミュージシャンだったら不特定多数を集めることはできますよね。ある程度、不特定多数が集客できる。世界的に見て有名なミュージシャンとかね。でも、こちらは無名ミュージシャンだから。ですから無音ストリート、ストリートていうのは無名ミュージシャンの特権ですよね。有名になったらできません。

ストリートミュージックが受け入れられる国とかありますよね、そういうのあこがれます。通りすがりの人にしっかり聴いてもらえて、そして投げ銭もらえる、という社会だったら素晴らしいな、と思います。

この今の日本ではほぼ絶望的。なぜかっていうと、この社会がプライベート化、ていうか縄張り化、ていうのがすごく強い。それがどんどん進行していってる。だからこの社会の中で、ストリートミュージックはどういうふう見られるかというと、これは単なるエゴ行為とみられてると思うんです。ある種のビジネス、ビジネス的な自己主張。いろんなものがあるかもしれませんけど、「こういうところでなんでお前の縄張り作ってんだ」みたいな。

———-縄張りですか。

もともと村社会――狭い村で、隣村のことはもうどうでもいいみたいな――村の中で固まってた。そういう狭い社会での人間関係を残したままきてるから、それをなんとかしないといけない。ほんとにバラバラの人だけになってしまう。

今、若い人でも携帯メールを一日に何十通もやりとりする、っていうのはものすごくグループ化してます。テリトリーていうか縄張り、グループ化、そういう濃いコミュニケーションがとっても残っていて、それに対して薄いコミュニケーション、見ず知らずの人とのコミュニケーション・・・ひょっとして僕はそっちに目を向けたい。

———-なるほど、すごいなあ。

演奏の場が変容して、誰でも演奏して、どこそこでライブやるようになる、っていうのは濃いコミュニケーション。仲間たちでの演奏会ですよね。それはそれでいいわけです。まあ結婚式とかお葬式とか、見ず知らずの人のとこにいくわけじゃありませんから、それとおなじように演奏会ていうのがある。親しい人のお葬式だったら行こうかなと、それと同じように演奏会に行こうかなと思う(笑)

———-(笑)面白いな、今のね。超有名人のお焼香とかいっちゃう。

ストリートでやるっていうのは、見ず知らずの薄いコミュニケーションの中でやるんで、それをちょっと見極めたいな、というのはあります。それを観察してるととっても面白い。日本人はとってもシャイで、シャイなんだけども、だからこう隠れて聴くような人もいるんです。こっちから見られたくないから隠れて聴いて、そのままスッと帰ってしまう。

———-それはよくわかるなあ。ヘッドフォンするときに「自分はこれに興味があります」とアピールしなきゃなんない。

非常にテレがありますね。でもそういった人にこそ、聴いてもらったらいいんじゃないかと思って。だから、ストリートミュージックが受け入れられるのには憧れます。現実そうじゃないから。

ほんとは音楽はある種の公共性というか、その場に貢献する、なんらかの貢献性がある、あってほしい。ストリートライブが受け入れられるような社会でもうるさいと思っている人はいるでしょうけど、それが前面にはでないで許容されて、ある人には拍手を受ける。でも、この日本社会だったら「うるさいな」ていうほうが前面にでて「なんでこんなとこでやる権利があるんだ」みたいな、そういう利得行為とみなされる。そういうのに、からめとられて出来なくなる。

そこで、ミュージシャンは音を出すものだから肝心の音ていうものを消してしまえば、一旦その縄張り性が失われます。さっき店舗ごとに縄張り争いするみたいに音楽を鳴らしている、というのに音楽を消しちゃったら他から侵入してくるのを防御してないですよね。そんなふうな、音ってそういう縄張り性があるからそれを一旦消しちゃえば――これはその場を占めて、占有してなんかやってるから――全面的に無くなるわけじゃないけど、音に関してはなくなります。

たとえば、四条大橋で、ストリートビジネスというか露天の人がたくさん並んでいて、「僕は音を出さない演奏なんです」て言ったら歓迎されるんです(笑) それで「一番いい場所に来てください」なんていわれて。音出す人はうるさくて自分らの商売のじゃまになるから。

———-そうなんですか。

音を出さないストリートビジネスの人――字を書いたり、似顔絵書いたり、占いしたり――は仲良く、くっつきあっておとなしくやってるのに、普通のストリートライブだったらやっぱり迷惑なんですよね。それに聴く人はちょっと離れて聴きます。

無音ストリートの場合、縄張り性は少ないけど、そのかわり音の持つ威力はなくなる。地下鉄の改札横でやってるときだったら、夜とか若い女の子がダンスの練習するのにすぐ横にやってきて、しかもシャカシャカ音楽鳴ら しながらやってきて、ダンスの練習したりする。こっちは音を出してないからとっても弱いんです。音を出す人だったら、遠慮して近くではダンスの練習しないけど。

———-できないですよね、曲に合わせちゃうから(笑) なんか自分をデリートしちゃうみたいなところがあるのね。

そうですね。角正之さんのインタビューで「即興は非自我的」だって言われてましたけど――僕は「非」って全面的には言えないんですけど――自我性ていうのをある部分においては一旦デリートすることはできます。それでミュージシャンには何が残るか。演奏行為は残るんだから、それをちょっと確かめてみようと。

———-歳森さんにはいろいろな目的があって、聴く人はそれぞれ別々の聴き方をして。

(僕にとっては)一瞥する人もオーディエンス。あるいは、若いキャピキャピしたギャルたちが笑うためだけに聴く、ほんとに演奏してんのかな、と。ヘッドフォンをして確かめて笑ってる。なんで笑うかというと、自分らが聴く前は誰も聴いてないってわかってますから。それでもほんとに演奏してるっていうのは、これは無意味なことやってるって。

———-「誰も聴いてないのに」って(笑)

(笑)ほんとに演奏してる、っていうことを笑うわけです。ほんとには演奏してないほうがまともなわけ。フリしてるだけだったら、まともなんだけど。そういうところ、とっても鍛錬になります

———-結局のところ、音楽て何かていうことですか? そういうふにいちゃうと誤解が多そうだけど。

うーん、今の時代の音楽の享受のされかたは、メディアによってどんどん変わってくる。だから演奏する側もなんかやっとかないと・・・一生のうちになんか。

———今年のこれからの予定は?

今年もなるだけずっと、できるだけ毎日やります。もっとさきには・・・こういうのに慣れれば、屋台っていうかリヤカーか台車みたいなのを自分の家からころがしていって、ほんのその辺で、路上でやってみたいです。お弁当を売ってる人とかいますよね、あんな感じで。そして、もっと無音演奏が普及すれば、家の前で子供が無音ストリートやってる、それを近所のおじちゃんおばちゃんが聴いている、というのもいいですね。演奏の場としてとっても面白いものになると思うんです。

演奏行為が街中にあふれることになります。それとか電車の中で本を黙読はみんなしてる――本だって昔々は読み聞かせることをしてたわけで――それがだんだん本が普及していって、みな字も読めるようになって、今は黙読してる。演奏だって黙読みたいな感じで、音を出さなかったら電車の中でもいいわけです。

———-特別に変わった演奏行為ではなく、普及していく行為なんだよ、ていうことですね。

はい。デジタル楽器は進化するでしょうし、音はなかなか日常的に出せない場合が多いですからね。


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