日本音楽即興学会 JASMIM

The Japanese Association for the Study of Musical IMprovisation
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ニュースレター

 横井一江さんにインタビュー#1/2

記載:2011年2月17日

JASMIMレター0033(2011.02.17)
[横井一江さんにインタビュー#1/2]
インタビュアー・編集:歳森彰

本文

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JASMIMレター0033(2011.02.17)
[横井一江さんにインタビュー#1/2]
インタビュアー・編集:歳森彰
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インタビュー日付:2011.02.03

———–JASMIMレターのためのインタビューをよろしくお願いします。横井さんは、ご自身のブログには音楽ジャーナリストと書かれていますが。

(横井一江)一応ね、何か書かなきゃいけないから(笑)

———–この学会のHPの役員のところの肩書きとしてはジャズ評論家と。

あっ、そうっか。まあ、広い意味で言えばいっしょですよ。私は写真も撮っていることもあるし、ジャーナリストと書く方がしっくりくるので、最近は音楽ジャーナリストと書くようになったのです。

———–はい。この学会が2年半ほど前に設立され、役員のことを、この学会では世話人と言っているのですが、横井さんは当初の世話人のメンバーとして運営に加わってこられまして、結局、当初の世話人の方々の半分ほどはアクティブでなかったのですが、そういう運営に関わっておられたこと、あるいは、2年半この学会をウオッチされたことで、何か、お感じになったことは?

まず、私は大学で教えたことはありますが、アカデミックなといいますか、学際的なといいますか、そういったところにいる人間ではありませんので、どちらかというと後方支援みたいな形でお手伝いできればと思いました。辞退したかったのですが、在野の方にもということでしたので、何かご協力できることがあればということで関わることに。

(2年半ウォッチして感じたことは)そうですね。こういう経験は初めてだったので、何といいましょうか、まだスタートしたばかりということもあるのでしょうけれども、一つのことを立ち上げて軌道に乗せていくというのは、実に大変なものなんだなあ、ということですね。

———–白地なところに、ということですね。

そうなんですよね。

———–何か、こうやりましょう、と言えば、何をやりましょう、というのには、常に誰がやるか、というのが付随しますね。

そうですね(笑)

———–なかなか、意見が出しにくい、ということもありますね。

私自身が他の学会に入っていて、運営面でもなんらか関わった経験があれば、あそこではこうだった、とか言えるのですが、学会というものに入っていたことはありませんから。ジャズ・ジャーナリスト協会(The Jazz Journalists Association)というのがあって、アメリカにあるインターナショナルな団体ですが、その会員なのでそこでどういうことをやっているのかということは知っているのですが。学会はまた違いますよね。私自身、意見をどう言うのがいいのかな、というのがありました。

———–かと、言って、学者の方々があまり意見を言われてもいませんしね。

そうなんです。もっと引っ張っていって・・・。正直に言ってね。

———–はい、ぜひ。

本来学会なんだから、そういう先生方がいろいろ引っ張ってくれた上で、そこで、私のような在野の人間とか、あるいはミュージシャンの方がそれなりの立場で物を言うことで、一つの形を、一般的な学会とはひと味違うようなものをつくれたらいいのかなあ、と個人的に思っていたのですが・・・。

———–はい。

始まったばかりですから、今後を期待しましょう。

———–これから先生方に引っ張っていってほしいと。

もうちょっとね。学会だからメインとなるのは研究じゃないですか。それをもっとやってほしいな、というのがあります。

———–はい。

私がこの学会になぜ興味を持ったのかというと、音楽即興、音楽における即興という切り口で研究をしていこうという動きが出たということ自体、面白いなあと思ったのですよ。私の場合、ジャズを中心として、ジャズだけではもちろんないんですけど、音楽批評に携わっています。そういった中で、自分が知っている音楽即興は、ジャズにおける即興、あと即興音楽、インプロと言われてジャンル化しているもの、またワールドミュージックとかバロック音楽における即興演奏などです。でも、音楽療法ですとか、音楽教育とか、そういうったものについては、存在そのものは知っていたものの、どういうものかよくは知らなかったもので、そういった世界を含めて広く物を見ることができれば、また違った世界が拓けるのかな、という期待はありました。

もう一つ、個人的に思ったのは、デレク・ベイリーの有名な本『インプロヴィゼーション』にけっこうしばられているなあ、と。そこから一旦離れて即興について研究する、物を言う、演奏するなり、新しい視野が開ければいいなあ、ってね。

———–横井さん、ぜひ、何か書いてください。

ヤブヘビだった(笑)。時間と体力があれば(笑)

———–そういう新しい切り口というのを読んでみたいですけど。

そりゃあ読んでみたい。ホントに。即興音楽というと何かにつけて、デレク・ベイリーとジョン・ゾーンの二人なのすよね。私、別にデレク・ベイリーの音楽が嫌いなわけでもないし、ジョン・ゾーンという音楽家をもちろんリスペクトしているけれど、もうちょっと他に見えないかなあ、と。

例えば、集団で即興演奏というと、なにかにつけてコブラじゃないですか。じゃあ、ホントにコブラだけなのか、そうじゃないでしょう、というのが一つあって。一つの例ですけど、日本だって佐藤允彦さんが「ランドゥーガ道場」というワークショップをずっと続けていらっしゃる。

即興演奏のシステムというとジョン・ゾーンのコブラ、それは一つのモデルになっていると思いますし、出てきたときは私も面白がっていた一人ですけど、でも、それが全てじゃない。他にもいろいろな即興のメソッドはあるんじゃないかな。もっと視野を広く持っていけば、もっといろいろ見えてくるんじゃないかな、と思います。

———–はい。そういうことを探求する場であることは確かなんですね、この学会は。

そうですよね。世代的なものもあると思うんですけど、大学院の学生さん、研究者になりたいと思っていらっしゃる方々、多分あまりそういうことって知らないのかな、って気もしましたね。なかなか切り口が見つけられないでいるのかな、というふうにも感じました。

———–はい。

確かにジョン・ゾーンしか知らなかったら、ジョン・ゾーンしかない。即興演奏について書かれたものはデレク・ベイリーのしかないと思ってたら、そこから入らざるをえない。でも、そこからもうちょっと広く、深くというか、私はよく使う言葉なのですが、広角レンズと望遠レンズ、その両方を上手く使い分けながら見ていけばいいんじゃないかな、と。それがうまくいけばもっとよく見えてくると思う。

———–はい。

例えば、誰かの写真を撮る時に望遠レンズを使うと周囲はぼんやりとしてその被写体をクローズアップできます。でも広角レンズを使うと周りが入ってくるわけでしょう。すると違うふうに見えます。あるポートレートを撮るとしましょう。被写体がほぼ同じ大きさとなるポートレートは望遠でも広角でも標準でも撮れるけれども、それぞれ全然違うものができます。望遠と広角、その両方が研究には必要だと思うのですよね。まあ、外野としてモノを言っているだけですけど(笑)

———–横井さんのブログに、音楽状況に関して「フラット」という言葉が使われていました。その反面、フラットだけど、一人一人は狭くなりがち、ということも書かれていました。今のお話に何か関連するかもと。

そうなんですよね、ホントは広がりがあって、奥行きあるのだけれども、それがわからなくなっちゃってるのね。

———–はい。

これはちょっと語弊がある言い方かもしれないけれども、例えばプロフェッショナルなミュージシャンでも、セシル・テイラーのように世界的に演奏活動をしている人もいれば、どこの国でもそうですけど、ローカルな場所で日常的に演奏活動を続けている方がいるじゃないですか。どっちがエライというのではなくって、両方の存在が大切だと思います。でも、こういうインターネット社会では、全部いっしょくた、みたいな状態になっているように見えて、それでいいのかな、と。

今の例えでわかりにくければ、そうですね・・・私、歌謡曲とか、あんまりわからないしな~。今はやりのAKB48でしたっけ、あれ、なんて読むのか、わからない(笑)。ああいうグループも、例えばジョン・ゾーンも、ある意味、インターネット社会ではみんな同列に扱われてしまっているのでは・・・。

———–相対化の動き、という。

というか、全部がいっしょくたになってる。今のネット社会の中でそれがすごく感じられて。これ学会と関係ない話かもしれないですけど。そういうのがちょっと危惧されます。

———–それに対しては、何か価値とか、ということでしょうか?

同じ基準では物が言えない、いっしょくたにしちゃったらいけないじゃないですか。だけどネット上だと同じように見えてしまう。例えば「歳森さんの音楽、素敵だなあ」、「AKB48、素敵だなあ」といった場合、使っている言葉はいっしょでしょう。でも、それぞれどういう音楽か、というのが全くわからなくて、そういう断片だけがアットランダムにバーッとある。極端な例を挙げただけだけど。アイドルとして素敵といっているのか、音楽として素敵といっているのかもよくわからない。音楽の好みはあくまで主観的なものに過ぎないのだけども、そこで何かものを言うというのは、そこになんらかの基準となる座標軸があるわけじゃないですか。それが、異なった座標軸で物を言っているのに関わらず、全部いっしょになってしまう。ネット上には情報が溢れ返っているんだけど、逆に、情報がないのと同じになっちゃっている気がすごくするんですよね。


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