日本音楽即興学会 JASMIM

The Japanese Association for the Study of Musical IMprovisation
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設立集会冊子WEB版

JASMIM
The Japanese Association for the Study of Musical IMprovisation

日時: 2008年9月14日(日)13:30 開始
場所: 神戸大学発達科学部音楽棟C111教室
住所: 657-8501 兵庫県神戸市灘区鶴甲3-11日本音楽即興学会

 このような学会の構想を思い立ったのは、だいぶ前のことになるのですが、実現にまでこぎ着けられるとは思いませんでした。
 直接のきっかけとなったのは、2006年8月に神戸大学で開かれました「即興・表現・生」という音楽即興を中心としたシンポジウムでした。多くの方が全国から集まられたのを見て、何となく実現できそうな予感を感じ取れたのです。
 しかしながら、その後も夢想にとどまっていたこの構想を実現に向かって動かしたのは、私以外の準備会のメンバーの熱意と努力でした。
 最初は日本即興学会という名称にして、ダンスや演劇などの音楽以外の即興表現領域も含めて学会を考えてみました。しかし、それはなかなか多岐にわたりすぎていて、そうとう難しさが予想されましたので、まずは音楽の領域だけから始めてみようということになりました。
 学会の設立の手順も、たぶん通常の場合とは違っていると思います。網羅的に全国的に重要と思われる研究者や機関へアプローチしたりは行っていません。まずは手近なところから起こして、みなさまのご助力によりゆっくり広がっていけばと考えました。
 また、このような音楽即興だけをサブジェクトにした学会は世界的にもまだないようで、早速友人を通じてですが、投稿などの打診が来ています。まだ出来ていない学会なのにもう国際学会化など大風呂敷を広げて、またまた夢想したりするのですが、たぶんこれも私以外の熱心なサポーターのご助力によって実現することになるでしょう。
 というわけで、今後のみなさまのますますのご支援とご助力が、始まりのところから期待値として大いに組み込まれている学会ですので、どうかよろしくお願いいたします。
                 若尾 裕
                 日本音楽即興学会設立準備会代表
                 神戸大学大学院人間発達環境学研究科教授

設立集会プログラム 学会設立集会 with 即興演奏
即興演奏 with 学会設立集会

■13:30ー 設立集会
        議題: 議長の選出、会則の承認、世話人および監事の選出
小休憩

■14:20ー 学会設立記念発表
      知的障害者と音楽家による即興演奏『音遊びの会』の例
             沼田里衣/ぬまたりい 
             (神戸大学研究員、中国短期大学講師、音楽療法家)

      頭の中での即興演奏
             寺内大輔/てらうちだいすけ
             (作曲家、即興演奏家)

      英国の大学における即興音楽教育
             ユミ・ハラ・コークウェル/ Yumi Hara Cawkwell
             (イースト・ロンドン大学講師、作曲家、即興演奏家) 小休憩

■15:30ー パフォーマンス
      会場に来られた会員による演奏
           コーディネーター: 田中慎一郎
*16:30設立集会終

■17:00ー 交流会(18:30交流会終了予定)

   
■会則(リンク先をご覧ください)

  
■学会費について
年額5000円です。ただし学生(大学院生除く)は年額3000円です。
振込先などについては設立集会以降にホームページに掲載されます。
【日本音楽即興学会事務局】
住所:657-8501 兵庫県神戸市灘区鶴甲3-11
神戸大学発達科学部若尾研究室
電話:078-803-7793  FAX:078-803-7793

   
コメント 「学会設立によせて」

寺内大輔(てらうちだいすけ)
世の中の多くの人の「音楽との付き合い方」に、新たな可能性を提案するきっかけになって欲しいと思っています。最近、自らの実践を文章化することに興味がありますので、研究報告、論文、エッセイなどを発表したいと思っています。(楽しみにしていることは)即興演奏そのもの、即興演奏を嗜む人との交流、即興演奏に関する研究成果の交換。

   
緒方啓助(おがたけいすけ)
『60年代のコルトレーンカルテットの必須条件は、一音一音、演奏を触発すべく、前もって書かれていたということは絶対にないということについては、私に は確信がある。このことは、ジャズを理解する上での重要な区別である。即興的な創造というものは、面白半分でやりつつも、作曲された作品まで上昇しない手 段、ということではない。むしろ逆にジャズに偉大さを与え、演奏という行為の中で、書かれた音楽を凌駕(りょうが)する可能性を有している。クラシック音 楽にもかつて偉大な即興演奏者がいたという人がある。これは、例えば、ベートーベンとフンメルのコンテストのことが記された自伝からも推測できることであ る』上記の引用文は、ジャズピアニストのブラッド・メルドーが、1999年、「アート・オブ・ザ・トリオ、第4集」のアルバムに添付されて、彼自身が書いたラ イナーノーツ(解説文)からの抜粋である。(拙訳ー筆者)(彼はこの中で、当時のジャズ界の世評を一刀両断して、縦横無尽にジャズ批評を展開して、専門の ジャズ批評家も形無しといったおもむきがある。興味のあるむきは、筆者の拙訳で全文が以下のサイトのコラム欄に掲載されているので、ご一読いただければ幸甚である。www.cyberdecker.gr.jp/rokude)
ところで、ヨーロッパのクラシック音楽、特に交響楽(シンフォニー)は、作曲者によって事前に企図された壮大な音空間が想定されているのは理解できるのだが、これにしても、作曲者の音楽衝動の原点は、即興的なインスピレーションなのではないかと私は思っている。つまるところ、音楽的衝動の原点は、何なのか、それはどこに由来するものなのか? これに対する一つの解答がある。それは、ごく最近(2006年)に出た本『This is your brain on music』で、著者は、アメリカ人のダニエル・J・レビティンという脳科学者で、人間が音楽を理解するのは、生まれた瞬間から、小脳でまず聞取られたものが記憶されて、無意識のレベルで、学習、獲得されるものだと、説明している。それはちょうど言語習得のプロセスに近いものだが、音楽の獲得そのものは、人類の進化の過程においては偶然のようなもの、ということらしい。これをわれわれ戦後の日本人に当てはめて考えると、つまり私個人を例にとると、子供の時分から、アメリカンポップスを数多く聴いてきたという過去があって、その量は、伝統的な邦楽の民謡を聴いた量をはるかに上回っている。従って、私のリズム感、フレーズに対する感覚は、よりアメリカ人に近いものがあるはずだ。
だが、そうはいうものの、人間の音楽的衝動とはほんとうのところ何なのだろう?当学会で、もっといろいろな知見、発見を共有できれば楽しいと私は思っている。

  
稲垣眞和(いながきまさかず)
最近、「即興」に対して非常に安易な考えを持っている人が非常に多い。私がこのように感じている事に対して何らかのフィードバックが得られればと思います。また組織というのは時間によって思想を形成し、それが硬化していく事で無用の長物と化すのでタテの付き合いでは無く、ひとりひとりが平等な立場で意見を述べ、活動できる事を望みます。(楽しみにしていることは)大いに語り、大いに酒を飲み、大いに演奏する。人とのつながり。同年代の人がどのように今を捉えているか知る。

    
Yumi Hara Cawkwell (ユミ・ハラ・コークウェル)
今年英国では即興音楽家の牙城LMC(ロンドン・ミュージシャンズ・コレクティブ)が公的助成金カットのため活動終了を余儀なくされ、ひとつの時代の終わりを感じておりましたところ、日本ではこの学会立ち上げということで、大変嬉しく思っております。この学会には現在細分化され尽している様々なジャンル、伝統、地域、目的の即興音楽の実践者、研究者の交流の場になることを望みます。そして即興という手法の一般社会における認知度を上げることにも貢献すること、さらには即興音楽をもっとたくさんの人に聴いていただく、実践していただく、ということにつながることも願っています。

   
種口裕人(たねぐちひろひと)
元々はJohn Cageと実験音楽(ロックなども含めて)を小学生高学年辺りから聴いていたが、音楽的教育は学校教育でしか受けていなかった。しかしそれまで文章などの 具体表現に疑問と限界を生じ、音楽という抽象的な表現を始めたのがきっかけである。中学2年の頃である。しかし技術的なものは当時殆んどなかったのでまず、今まで聴いてきた物を否定する事からはじめた。当然当時は電子楽器などは全く持ってなかったのでテープレコーダーにチャンス・オペレーションで鳴らし た楽器の音や、環境音を、偶発的なテープ加工によって再構築していった。それが現在に至る即興的コラージュミュージックであったといえるかもしれない。1976年の事である。それがパンク、ニューウェイヴ、インダストリアルの音群の中から自分と今度は似た部分を再構築させていった。1981年秋、新潟で デレク・ベイリー、ミルフォード・グレイヴス、田中泯のMMDパフォーマンスを体験。1981年にSEED MOUTH名義で1st発表。翌年フールズメイト誌に於いて評価をされる。それ以後ノイズ・ミュージックのカテゴリーに入れられているが、自分ではアコー スティックでもエレクトロニクスでも即興表現から生まれてきた物だと思っている。その後それぞれ表現は変わって行くものの即興的要素を多く含んだ作品作り続け現在に至る。
一時精神病院での音楽療法を実験した事があるが、多くの音楽療法士は聴きやすい音楽の鑑賞、乃至はなじみのある曲のコピーに終始しているのを見ると、もっとその人間が持つ根源的な表現力を活かせばいいとそのとき思った。
全く無学ですので生意気な事書いてすみません。

   
玉光和人(たまみつかずと)
私自身まだまだ研究不足なので、とにかく色々なものを見て、感じて、考えていきたいです。やはり、セッションをやってみたいと思います。実技もいいし、討論もいいと思います。偏ったジャンルではなく、色々な人と出会えることにわくわくします。

   
齋藤徹(さいとうてつ)
いろいろな方面からの(専門)意見を聞きたいと思います。#音楽だけでなく、ダンス、美術、生物学、哲学、医学、文学、美学、宗教、演劇、障害者の現場などのジャンルから #現代だけでなく、伝統の世界から(能・書・武術などなど) #日本だけでなく、海外から(私の知っているのは フランスのIREA http://irea.free.fr/ などは興味深い活動をしています。有意義な交流もできるのではないかと思います。)アジア・アフリカから、いろいろな宗教からの意見交流。 #支持者だけでなく、即興に批判的な人たちの意見。
#デュビュッフェ、ジャンケレビッチ、ブラックストンらの高価な本の紹介も助かります。

   
石上和也(いしがみかずや)
即興を通じて、芸術や音楽の繋がりだけではなく、人と人との精神的な繋がりが形成されることを期待しています。

    
山田衛子(やまだえいこ)
確かに即興音楽は音楽の世界であまり良く見られてはいません。けれど、何とかしようと思って、即興音楽を、即興的な音楽行為が人間の音楽表現活動の根源である、あるいは、あらゆる場面でこういった行為は多様になされている、という事でもって意味付けたり価値付けたりすることだけでは、十分ではないと考えます。なぜなら、こういった試みをする時に立っている位置とは、アカデミックな音楽、中央ヨーロッパの歴史的な音楽の世界ではないか、と思うからです。
加えて、あらゆる場面で多様になされている、という即興演奏がどれも同じレヴェルでの即興性を持っているか、と問えば、即興演奏の場面を見る見方の差異のようなものも探っていく必要があるように思えます。
これまで私の身近では、即興音楽の質について、良い即興音楽を決める基準は何か、など、即興音楽について語られる場がいくつかありましたが、どうしても即興されてできた音楽が作曲されてできた作品と対峙されて論じられがちでした。
しかしこれでは、未だ即興演奏をアカデミックな、中央ヨーロッパの歴史的音楽からの視線から見ているにすぎません。即興演奏には即興演奏にしかない音楽行動の可能性があり、それが即興演奏でしか可能とならない音楽のかたちをつくり出します。そしてこういった音楽を受容し理解していくには、即興音楽にしかない受容と理解の仕方があるはずだと私は思うのです。
今回、日本音楽即興学会設立に際し、この、即興音楽独自の、これまでとは違った音楽の見方、視線といったものを会員の方々とともに探っていければ、と願い、学会の設立に賛同すると同時に、入会を申し込ませていただきます。

   
堀上みどり(ほりかみみどり)
大学時代、ジャズに憧れて、軽音楽部ジャズ研に所属し、ヤマハのジャズ講座や甲陽音楽院に通いながら、バンド活動をしました。まず、コピーからと言われ、本番はいつも、完コピ譜や自分でコピーしたものばかり楽譜を見ながら演奏し、切り抜けていました。コピーの即興と、自分のあまりにお粗末な即興とのギャップに、自分の即興を諦めてしまった経緯があります。ジャズ研の先輩達は、自分の即興スタイルを確立し、自由にのびのびと、楽しんで演奏していました。音も理論も学び、そのシステムは一通り理解したのに、私にとって、なぜ即興はこれほど困難なものなのでしょうか。
その後はしばらく、クラシック音楽(主にロマン派)ばかり弾いていましたが、3年ほど前から、音楽療法で再び即興と向き合うようになりました。
音楽的に自分で納得できる即興を、もっと自由にできるようになりたいと強く思います。

   
野田祥史(のだよしふみ)
私は常に自分の演奏の発展を目指しているので(そう言う探究心があるので)新しい音楽の方法的な理論等、一人の探究では難しい所を、皆さんのアイデアをお借りしたい。
より発展的な音楽を、広島と言う地方都市から出発し、多くの人と共有したいと言う思いがあります。

   
寺尾孝太(てらおこうた)
イギリスの音楽家でドラム奏者のジョン・スティーヴンス(1940-1994)と、あるコルネット奏者との間で交わされた会話が印象に残っている。
これはデレク・ベイリーの著書’Improvisation’の中で触れられていた。誰もいない建物の中で出会った2人。スティーヴンスは彼に何か一緒に演奏しようと持ちかけるが、何も準備していない状態で一緒に音楽はできないと拒むコルネット奏者。するとスティーヴンスは一つでもいいからまず音を出してくれれば、そこからお互いにやりとりして音楽ができるよと。
様々な即興音楽が存在している中で、このような方法はより自由な形式の即興演奏ではないだろうか。こういったやりとりは演奏者も(仮に聴衆がいたとしても)誰も予測できない音楽を即興的に生み出していく。スティーヴンスは楽器が演奏できる奏者だけでなく、このような音楽に興味がある人、時には聴衆を巻き込んで、即興的に音楽をつくることを楽しんだ人だ。そんな彼とその音楽に私は惹かれてしまったのだ。
決してこうあるべきものというのではなくて、演奏者によって、場所、時間、状態、雰囲気によって幾重にも変化し、生まれてくる即興音楽に私は非常に関心がある。それはこのような形態で演奏されていく音楽の特異性に注目するだけでなく、音楽そのものの受け取り方、感じ方など、他の音楽とは違った視点で眺めてみたい、その必要があると感じるからである。
また、即興音楽が音楽教育や音楽療法などいろいろな分野に見られることも興味深く、この音楽の可能性を探ってみたい理由の1つでもある。
今回、日本音楽即興学会の設立にあたって、様々な分野の方々と即興音楽について情報交換し、そこで音楽を共有できることを、とてもうれしく思う。

    
齋藤桂(さいとうけい) 齋藤桂と申します。大阪大学の音楽学専修で博士後期課程に在籍しております。
明治後期~昭和初期の新民謡を研究しており、音楽と文学の中間にある出来事全般に興味があります。
「即興」という言葉からは何やら自由な匂いがしますが、私の研究している新民謡周辺では、しばしば「日本人ならこの歌を自然に(≒即興的に)歌えるはずだ」というような一見保守的な主張も見られます。このように(実際にそうであるか、ハッタリであるかはさておき)「即興」を謳うことが、創作や聴取にとってどのような意味をもつのかという事に関心をもっています。勿論、具体的に音楽が生じるプロセスで即興がはたす役割にも目を向けていきたいと考えています。
学会では、様々な音楽の即興に関する研究に触れることで、特定の分野に留まらない、より普遍性の高い議論ができればと思います。
不学の黄口ではございますが、宜しくお願い申し上げます。

    
新井英夫(あらいひでお)
私は演劇からはじめて、現在はダンスパフォーマンスを主な表現手段として舞台公演やワークショップの活動しています。
音楽のみを専門としているわけではないのですが、常々問題として考えていることと重なる領域なので日本音楽即興学会への入会を希望します。
舞台表現としてのダンスの領域でも、「即興」あるいはその要素を取り入れた試みが多くなされてきています。ただ音楽の状況と同じく、バレエ系・コンテンポラリーダンス系・民族ダンス系・舞踏系…と細分化された各々の場所で、大半が横のつながりや俯瞰的視点のないまま、あるいは検証や継承の不完全なまま、行われているなぁというのが実感です。
ダンスが「からだの動き」という広範で茫洋な媒体で、個々の感性に引き籠りがちになってしまう性質だからかもしれませんが、どうもこれは、もったいない。
また、近年私も関わることの多い高齢者・ハンディキャップのある方等へのワークショップの現場で、療法的効果やコミュニケーションのツールとしての期待から即興ダンスの可能性が注目されていますが、音楽療法の実践と方法論の蓄積に比べて、こちらはまだ「はじまったばかり」という感じです。 しかしこのワークショップという共同・即興・観客不在の現場で、現在流通している舞台作品と異なった生々しいチカラを持つ即興の身体表現に出会うことがしばしばあります。まだ位置づけられていない、ちょっと大袈裟にいえば「芸術の次」の可能性をそこに予感することさえあるのです。ともすると「療法的効果」に即興ダンスの可能性を限定してしまう傾向に、これまたもったいないと感じているところです。
これらをひっくるめての想いですが、「即興の音楽」という切り口で日本音楽即興学会に集まった人たちが一歩先を歩き出し、それによってできる縦横無尽な「けものみち」にわくわくと期待をしています。そこは、音楽をきっかけとし、誰もが通行可能な「みち」だと思うからです。

    
田中慎一郎(たなかしんいちろう)
2006年の夏、「即興・表現・生」というタイトルで即興に関わるシンポジウムが神戸大学にて開かれました。聴衆であった私は、席上、このような話し合いを今後も引き続いて行える場があれば、と漠然と思っていました。今回それが学会という形で実現し、何か面白そうなことが起きるのではないかという期待が膨らみます。
海外を見てみると、2004年4月、ethnomusicologistのブルーノ・ネトルが、4日間にわたる即興に関わるコンファレンス(New Directions in the Study of Musical Improvsation: An Interdisciplinary and Intercultural Conference)をイリノイ大学にて行いました。私は、そのタイムテーブルをオンライン上で確認しただけですが、発表者は多様で、タイトル通り学際的、間文化的な色合いを見せていました。また、私が調べた範囲に限られますが、即興についての研究も、80年代以降、上記のイリノイ大の会議のように、学際的な色合いを持って、多角的に研究されるようになってきたのではなかろうかと思います。これらの動きを考えると、今回の学会発足は好機会を捉えているのではないでしょうか。
本学会が開かれていて、自由な学会になればと思います。そして、いつか音楽以外の領域における即興研究、広い意味での即興研究と、交流してゆければと願っています。

   
歳森彰(としもりあきら)
私は、「即興」という言葉を、多くの音楽分野がそれに関わることができるよう、なるべく広い意味で使用することを提唱したい。「(音楽)即興」の辞書的意味は、「計画されていない(音楽)手法・行為・内容」である。「何に関して計画されていないのか」つまり「何に関する即興か」の視点を持つならば、その「何」によってさまざまな即興のタイプが生まれる。この学会に「即興からの視点」を軸として、さまざまなタイプの即興を寄せ集めることを期待したい。
上記の「何」とは異なるが、「何をどのように演奏するか」という図式を借りると、伝統音楽では「何」は計画されている。「どのように」は計画されていないものの、「口承」で体得され、ある程度「何」から制限を受け、ある程度自由で偶然がある。即興は「どのように」と関わる。とすると多くの音楽分野が多かれ少なかれ即興に関わる。
即興からの視点の1つは、「何」と「どのように」の区別をなくすことである。あるいは「どのように」を「何」より優先さすことだ。それに近いこととして、「何」よりも、個々の奏者の固有条件、その場、その時の固有条件を優先させることがある。想定された「何」をそのまま弾かなくてもよい、その場で弾けることを弾けばいいのだ、と。そのとき「何」は派生的に結果として生まれる。この即興的音生成プロセスは、演奏学習理論として有効であることを訴えたい。伝統音楽の場合、結果として生まれる「何」が、計画された「何」と一致するなら、伝統音楽と即興は両立する。将来、伝統音楽に即興が必要不可欠である、となることを期待したい。私はジャズミュージシャンだから、「何」とは、コード進行であったり、一定のテンポの4拍子である。それらに関して「どのように」を優先させる実験や学習を行いたい。
私自身は、非記譜的タイミング揺らぎの構成(Timing Progression)に関心をいだく。それは、あるスタイル風のグルーブ、誰々風の乗り、と大雑把にきかれることもあるだろうが、個々のタイミングの自由度を追及し、それらの連なりがその時々できわどいバランスをとり、結果としてフレーズ生成を主導するなら、即興からの視点の1つだろう。
もう一度一般に戻ると、「どのように」の論理化作業から「おまじない」の類やストーリーを除くことはできないかもしれない。「どのように」は体得すべきことで、ストーリーは何でもあり、かもしれない。そこに即興の研究の困難さがある。この学会では「音楽家も研究者もみんなインプロヴァイズするのだ(若尾裕)」ことも楽しさの反面、困難さを呼ぶ。ミュージシャンと研究者を兼ねることの困難さを、この学会で分かち合えることも期待したい。

   
若尾久美(わかおくみ)
設立準備にかかわったこの半年は面白い発見やアイデアに出会うことができました。
本年2008年に入って、2月の第1日曜日です。具体的な学会設立に向けて動きが見えはじめたのは。この日は神戸ビッグアップルで恒例「先端音楽実験会」がありました。たまたま、わたしはそれに参加しました。帰り道で同じく参加されていた方と学会設立のことを話したのを覚えています。即興というキーワードで音楽の研究を呼びかけて研究情報を交換していく。即興音楽はすでにそのような段階に入っているのではないか。研究だけではなく演奏やコンペティションもあるべきだろう。現在行われている研究発表の場やコンクールの場には、即興を中心テーマとしたものはない。それらも、きっと求められているだろう、などと話しました。
その後、1~2週間の内に連絡の取りやすい何人かに相談を持ちかけ、2月19日に第1回のミーティングを開き、学会設立の意向が固まったのです。この学会名「音楽即興学会」は先に英語名が決まり、次にそれを日本語に翻訳したものなのです。英語名は、「The Japanese Association for the Study of Musical IMprovisation」といい、そのうちの「Musical IMprovisation」を「音楽即興」としているのです。この「音楽即興」という造語的な日本語が決まる前、ほとんど同時に、まず先に略称として「JASMIM(ジャスミン)」という花の名前を借りることが決まりました。そして、スペルを合わせるために世話人の誰かが言い出した「IMprovisation」の始めの2つの文字「IとM」を使っています。この花の名前は、ポルトガル語ではこう綴るのだそうです。 私自身は「即興」という言葉の中にはいままで切り捨てられて来た「音楽」があるのではないかと思っています。それらを丁寧に拾うようにこの学会が機能するとよいと思います。

   
沼田里衣(ぬまたりい)
私は、音楽療法の分野で、即興演奏を中心的な手法とした実践や研究を8年続けてきました。そのなかで、音楽的背景の異なるセラピストとクライエントという2者が、どのように即興的に音楽を成立するべきか、その際の音楽行為は、どこからが音楽と言えて、どこからそうではないのか、それはあくまで療法の過程なのか、あるいは芸術作品とみなされる可能性はあるのか、そんなことを考えてきました。
また、「音遊びの会」という知的障害者と即興の得意な音楽家との会を主宰し、舞台活動も続けております。
最近では、即興音楽の言語性に興味があり、実践を行いながら研究を続けております。本学会では、言語による研究と共に、音楽言語による研究発表(演奏など)が互いに刺激し合える関係で議論を進めていくことの可能性に期待したい。

   
細馬宏通(ほそまひろみち)
日本音楽即興学会、設立おめでとうございます。
「即興音楽」という分野名ではなく、「音楽即興」という行為名を名付けられたところに、会の心意気を感じます。
分野を弾き破る行為を引き入れる会となればいいなあ。楽しみです。
及ばずながら、何か思いついたらハイハーイと手を挙げます。

   
柳沢英輔(やなぎさわえいすけ)
アカデミックな世界とアートの世界は本質を追究し、表現するという点において本来同じものだと思う。しかし、特に日本においては両者の世界は大きく隔たったままで、その溝を埋めるような試みは未だにあまりなされていないのではないだろうか。
たとえば音楽研究においても、基本的に紙に書かれた論文のみが評価される。音や映像はアートの世界でやるべきもので、学問ではないというような。 しかし、優れた「音楽家」は日々の実践を通じて「音」と真剣に向き合い、「音」について考えている。そのような実践を通した思考がもっとアカデミズムの場において生かされるべきではないか。また研究者がそのような実践を通して発表する(論文以外の)作品について、学問的にもっと議論される場があってもよいのではないだろうか。本学会がそのような場になることを期待している。
いわゆる「即興演奏」や「即興音楽」についてはあまりよく知らないが、2001年にイギリスのキャンバーサンズで観たデレク・ベイリーの演奏は未だに脳裏に焼き付いている。

    
福西哲唯(ふくにしてつただ)
単独、グループでの演奏。ダンス、舞踏とのセッションなどを中心に活動しています。以前から演奏音楽(音楽演奏ではありません)という方法が「音楽」の最もみすぼらしい姿ではないのかと考えてきましたが。昨年、高知の本川神楽を観に行って、最終プログラムの「神送り」に出会った時、確信めいたものを感じました。楽器はもちろん演奏行為も、そして多分「音」も「音楽」とは直接的には何の関係も無い・・・。かなりはしょっていますが、そんな確信です。
演奏音楽を使った即興は即興の構造があまりよく透けて見えません。少なくとも今まで聴いたものはそうでした。演奏音楽ではない方法が即興の大部分を占めていると思いますし、より端的に即興の構造が明かされているように思います。そしてそれを「音楽」とあえて名付けた途端(それを「音楽」とみなしていた時代もあったかもしれません)、「音楽」が広がりと深度を持つようになると思います。まとまりのない考えですが補強のためのヒントが頂けるようであれば幸いです。
現在、神楽、歌垣、にわかなどに興味があります。

    
三宅珠穂(みやけたまほ)
・この学会に期待すること
即興を多角的に研究し、情報交換すること。
即興の新しいあり方、考え方への布石となること。
即興が、世の中にさらに定着していくこと。
・この学会でしたいこと
即興に対する様々な考え方の違いへの考察。
・何が楽しみか
様々な人や考え方と出会うこと。   

            *以下、冊子版締切以降到着のコメントです。

河上素子(かわかみもとこ)
学会設立、おめでとうございます。横浜の、河上素子と申します。
即興音楽学会が設立される、と知りましたのは二日前、大阪の音楽療法士さんの友人、本間知子さんにお聞きしました。私は、クラシックとともに、即興演奏でピアノでライブ活動をしているものです。あまり、同じようなことをなさっている方が周りにおらず、今後の勉強の方法を模索しておりました。
お仲間に加えていただけましたらとても嬉しく思います。私のホームページです。http://crystaltone.jp/

    
小林田鶴子(こばやしたづこ)
音楽教育の分野でも、楽譜に依存しない自由な演奏の必要性を痛感します。また、研究者、演奏家の交流も盛んにしていきたいです。

    
龍野弘毅(たつのひろき) 龍野由美子(たつのゆみこ) 作曲家として又音楽療法士としてこの分野には強い興味と関心を持っていました。学生時代ジャズにのめり込んだ時期もあり、又劇団員とのダンスの即興など色々な経験もあります。是非この学会に入れていただきたく思います。

    
欅田直人(くぬぎたなおひと)
・この学会に期待すること: 交流と実験。身体性への挑発です。
・この学会でしたいこと: 振る舞いとしての音楽を拡大できたらと考えます。
・何が楽しみか: 出会いと啓発。
・新鮮な音楽を、新鮮な耳を、新鮮な身体を、新鮮なネットワークで。

    
横井一江(よこいかずえ)
指で?マークを描いて「即興(音楽)は、永遠に『?』である」と開口一番に言ったのはトニー・オクスレーだった。「それはある種のプリパレーションでもあり、インプロヴィゼーションでもある」。なるほど。確かに言われてみれば、そういう言い方もできるのかと。「永遠に『?』である」とは素敵な言い方ではないか。だが、この『?』、即興音楽というコトバの意味するところの曖昧さ、自発的な表現の自在さ、あるいは捉えどころのなさはデレク・ベイリーも指摘していたようにアカデミックな場には馴染まないものなのかもしれない。だが、音楽における即興を捉え直すことは、音楽そのものをいったん西欧アカデミズムの歴史観に基づく論理から外して再検証を試みることではないのか。そして、音楽ジャンルという垣根を外すことだけでなく、音楽教育あるいは音楽療法といった分野も含めて、横断的に考える場ができるとしたら願ってもないことだ。だいいち、このボーダーレスな時代に即興音楽を即興音楽という狭い括りの中でいくら再考しようとしても自家中毒になりかねない。音楽はそれが演奏される現場があってこそのもの。各々の現場との繋がりの中で研究がなされるのなら、即興音楽にとって最も似つかわしい学会となるだろうし、それを期待している。

   
設立準備会世話人
(設立集会とその報告までを担当します)

嶋田久美(事務局)、田中慎一郎、寺尾孝太(英語)、歳森彰(HP)、沼田里衣、原真理子(英語)、柳沢英輔、若尾久美(設立集会冊子)、若尾裕(代表)

JASMIM
The Japanese Association for the Study of Musical IMprovisation

日本音楽即興学会・設立集会冊子WEB版

発 行:2008年9月14日発行
編 集:日本音楽即興学会設立準備会
メール: jasmimtea yahoo.co.jp
ホームページ http://jasmim.net/
(C) JASMIM 2008