日本音楽即興学会 JASMIM

The Japanese Association for the Study of Musical IMprovisation
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ニュースレター

 沼田里衣さんにインタビュー#1:音楽即興の学会って何?

記載:2010年10月27日

JASMIMレター0009(2010.10.27)
[沼田里衣さんにインタビュー#1:音楽即興の学会って何?]
インタビュアー・編集:歳森彰

次回の大会運営委員長の沼田里衣さんにインタビューさせていただきます。主な話題は、来年の大会でコンテストを予定している、それについてです。まずは、スタッフのメーリングリストに沼田さんが書かれていた、この学会にとって本質的話題の、音楽即興について学会が何をなしえるのかが、今までなかなかわかってこなかったのが、少し感じるところがあった、と書かれていたのですが、それについてです。最初、なかなかわかりにくかった、というのは?

本文

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JASMIMレター0009(2010.10.27)
[沼田里衣さんにインタビュー#1:音楽即興の学会って何?]
インタビュアー・編集:歳森彰
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(2010年10月18日、スカイプでインタビュー)

———–(インタビュアー) 次回の大会運営委員長の沼田里衣さんにインタビューさせていただきます。主な話題は、来年の大会でコンテストを予定している、それについてです。まずは、スタッフのメーリングリストに沼田さんが書かれていた、この学会にとって本質的話題の、音楽即興について学会が何をなしえるのかが、今までなかなかわかってこなかったのが、少し感じるところがあった、と書かれていたのですが、それについてです。最初、なかなかわかりにくかった、というのは?

(沼田里衣) 今そこに書いた文章を見てるんですけど(笑)、即興ということ自体が、即興とは何か、ということを含めて、すごく茫洋としていて、つかみどころがなくて、範囲も広くって、どこまでがその学問範囲なのか、即興と言っても、作曲的なことも即興と考えれば、作曲と即興の関わりだとか、あるいは、ある人にとっては即興だけど、やっている本人は即興のつもりじゃない、とか、いろんなことがあって、そういう領域をあえて学問対象として、しかも学会として設立してやっていく、というのは、いったい何ができるんだろう、というのは、私もどうなるのかなあ、という感じで、思いながら、自分もどこまで何ができるのかなあ、という感じで思っていたんですね。

で、ただし、一つ面白いかな、と思ってたところは、対象が音楽というか、芸術領域なので、その芸術領域を実践している人たちと、学問領域の人たちが、一緒になって何かやる、というのが、若尾裕先生も先日インタビューで述べられていたと思いますが、そういった人たちが一緒になる、というところが、一つこの学会の面白さでしょうから、そこをうまいこと工夫して運営していけば、何か一つのシステムなり、新たな関係性ができてくる可能性があるのかな、というふうに思ってはいたのです。

———–学問と実践との関わりというのは、最近は、どこでも、例えば地震を研究する学問は、地震予知に関係するから、地震予知の社会的影響や、何回もはずれてたら、いつか狼少年みたいになって、誰も聞いてくれないようになる、とか、実践的なことも扱う傾向にはありますよね。

基礎研究と実践的な研究という意味では、そうですよね。基礎研究ばかりではなく、応用研究というのですか。

———–社会の中でそれがどう扱われるか、というかみたいな。

そうですね、ただ、この学会の場合は、実践に応用できるか、というのでなく、実践そのものの人が入っている、という、ちょっと性格が違うような気がするんですけど。芸術領域でこういうことをしている学会ってあるんですかね? 例えば、美術家と美術評論家と美術史研究家、美学研究家が一緒になって学会やるみたいなって、あんまり、ないですよね。

———–つまり、実践者が研究の対象者である、と。

そうですね。

———–普通、対象者自身は研究の方に踏み込んでこない、と。

そうですよね。

———–その点、この学会に今参加している方々は、自分自身音楽を実践される方が多いですね。

そうですね。

———–実践しながらも、研究とは何かというところに視点を向けるとか。

その辺が面白い、ちょっと、どうなるかな、という感じですけど。その話題ですか?

———–えー、その話題は少しでいいのですけど。自分自身がやっていることを対象化する、ということの悩みはありますね。

あー、演奏家からすると、ということですね。

———–そうですね。自分が事を起こして、それを対象にするのは。

(演奏家にとって)自分がやっていること自体が研究なので、その研究がどのように進んでいるのかを発表すればいいのでは、という感じに私は思っていました。つまり、今、こういう即興を、こういう文脈で考えている、みたいなことの発表が、即ち研究であるみたいな。

演奏者の人の場合は、その演奏することが多分、研究者で言う研究発表に当たるのかなあと、そういうことでは?

———–はい。

つまり、その辺どうなんですかね? 例えば、歳森さんだったら、無音ストリートライブでしたっけ、というのを考えた文脈というか説明があったじゃないですか、そういうのを発表するのが、(演奏者にとっての)研究発表かな、というイメージでいたんですけど。

———–無音ストリートが音楽即興に関するかどうか、わかりませんけど、ある文章化も必要ですね。

文章じゃなくても。

———–演奏すること自体が研究でもありえると。

はい。(文章化とは)言葉にする、ということですね、そういう意味ではそうですね。

———–そこは、もっと参加者が増えてきて、いろんな形が現れてくれば。

そうですね。

———–では、学問と実践をこの学会が扱う面白さ、というのはそのくらいにして、もう一つ、即興自体がつかみどころのないことを対象にしているので、わかりにくかった、という部分について?

つかみどころのないなあ、と思ってますけど、そこは深くは考えていなんですけど、さきほど言ったように、即興と作曲の区別が曖昧だ、ということと、ある人にとっては即興だけど、やっている本人にとっては即興的要素は含まれているけど、即興というコンセプトでやっていない、いうことがあったり、ということと、後何があるだろう?

———–つまり見方によって。 即興そのものが、何と言うか、コンセプトじゃないようなものを議論する、というのは、どういう研究上のメリットがあるんだろう、とか。

———–それで、この2年間発表されたり、他の方の発表を聞かれたり、議論されたりして、何かわかったことがある、と仰っていたのはどういうところでしょうか?

今回のシンポジウムが「よい即興、わるい即興」で、これは3回シリーズでしたっけ、2回?

———–2回ですね。1回目は評価について、教育現場での即興の評価について、大学の講座で何点をつけるかとか、また別の方法とか・・・

そうですね、評価の問題と、次に、よいわるい、というシンポジウムを聞きながら、結局、・・・、即興性を含むということは、コンセプトではないことが起こることを意図する、ということで、ある意味、無目的な過程である、というか、目的が決まっているようで、決まっていない側面がある、ということを演奏された場合、それのよしあしというのは、つまり評価軸がないことをやろうとしているので、評価軸がないことに対して、よしあしは簡単に言うことができないだろうと思うんですよね。

で、なので、じゃあ、即興演奏って、どういう意味があるんだろうって、わざわざ無目的な過程をやっていくことの意味は、何にあるのかなあって考えた場合に、何か、前より違うことが起こるだろう、というのがある意味意図されているわけで、じゃあ、前よりちょっと何かずらすこと、そういうことに意味があるのかなあ、って思ったのです。

ずらすことの意義となると、社会的にもいろんな意味があるのかなあ、と思って、例えば、障害と健常の境界線であるとか、療法的や教育的な課題であるとか、評価の軸もそうですね、今までこういう即興がいいと言われていたんだけど、何か全然違う側面が見えてきたりとか、それと関連してますけど、音楽の枠組みも今までの枠組みを取っ払った地点にいけるのかなあ、とか。そうようなことが、多分この即興学会の意図としても考えられるのかなあ、と思ったりもしました。

(続く)


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