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JASMIMレター0016(2010.12.04)
[エクセター大学シンポジウムレポート#3-2(若尾裕さんへインタビュー後半)]
インタビュアー・編集:歳森彰
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SocArts Symposium ‘Flirting with Uncertainty: Improvisation in Performance’
エクセター大学ソックアーツ・シンポジウム「不確実さとたわむれる パフォーマンスとしての即興」
———–(インタビュアー) 日常的というのは、ぼくもよく普段から考えます。即興を日常行為にする、ということを。
(若尾裕) はい。普通そうしているんですけどね。やっぱり西洋が音楽を固定した完成されたものにしてしまった。例えば、佐渡おけさ、って、けっこう即興的だったりするんですよね。歌い方も、歌詞も、その時々で違うことを平気で歌っている。日常的な即興性がある。でも、西洋の概念が入ってきて、ベートーベンだって即興で有名になった人ですけど、そういう人の(クリエイションの)物語が、日本みたいなところの即興を放逐するような、そういうふうなことが全世界的に起こっているということですね。
シンポジウムでは、社会学講座だったので、こんなことを言っても別に敵意はもたれませんでしたけど、デノーラ先生のところには、音楽療法の人もわりに多くて、原真理子さんもその一人なんです。音楽療法の世界も、なんとなく、西洋の芸術音楽の思想のようなものに汚染されているんですよ。治療とか、セラピーとか、癒しとか言いながら、実は管理のような部分があって、そういうのがイヤだな、と感じる人は、デノーラさんのところに、よく行ったりしてるんです。原さんもその一人なんだけど。
誰かに元気になるように、と思って、何かの歌を歌ったり、一緒に即興したりする、というのも、音楽の形を西洋のものにすると、何かその人のエネルギーを、どっか、そこに押し込めちゃうことを平気でやっている。
———–その、日本で、もののあわれのような、時間を日常的に、時間の流れを感じるように、日本にはある、と。そういう中で、この即興の学会の学術とつながるようなって、どんなんでしょう?
えっ? 日本の非西洋的な即興の?
———–時間の流れとかを、ある感じ方を、日本の文化や、日本人が共有しているとしても、そういったのを学術的に扱うというのは・・・?
そういう研究がありえるのか、ということですか?
———–はい、ちょっと想像つかないんですけど。
それは多分、具体的に、例えば、時間を研究するような、時間の操作を実験するような、そういうようなことは、ちょっと難しいですよね。時間って一番実験できないものなんですよね。
つまり、人間にとって、時間って、どういうものか、っていうと、すぐそこで行き詰っちゃいますよね。ベルグソンっていう哲学者は、時間は持続だ、って、それが時間論の基礎になっているんですけどね。あるものがそのままの状態で持続している、というわけで。その時間の持続は、人間の意識によって捉えられるものですね。仮に、人間が全て死滅して、宇宙があったとして、そこに時間があるか、というと、よくわからないことになっちゃうわけですね。われわれが時間と言っているのは、意識の流れのようなものだろう。それを科学的に捉えるのは、なかなか難しいことじゃないかと思います。
ただ、ディレク・ベイリーのような新しい人たちも、バップのような人たちも、みんな共通して感じるのは、前に向かって、せっぱ詰まったように迫っていく時間の捉え方ですね。そういうことを指摘したり考えたりすることは研究としてあるかと思いますが、そこまでなんですよ。そこから先はこれからの問題で。
時間の形状、例えば、チャーリー・パーカーのような演奏で、時間を操作するため、すごく微妙な時間のズレ、つまりグルーブを出すことによって、時間に何らかの意味をもたす、そのグルーブをどう研究するか、ということは考えてはいけるとは思いますけど。
———–日本の社会に住んでいますから、日本的な時間の流れを感じるとか、あるんですけど、演奏するとき、特に形式のある音楽を演奏するとき、意識として、なかなか、日常的な・・・、ちょっとごちゃごちゃしますけど、西洋近代的じゃないような、日本的な時間の流れっていうの、それだけにすると、ふわふわっとしたタイムの音楽ならやりやすいですけど、一定のテンポ、小節がある中で、日常的な時間の意識で、演奏するのはとっても難しいです。
定テンポで迫っていく、というのは、一種の西洋近代的な音楽的時間でしょうね。
———–ま、そう言ってしまえばそれまでなんですけど。ぼくなんかジャズですから、一定のテンポや32小節はあるんだけど、一方、先ほどの日常的な時間が流れるような、両方が両立したらすごいな、と思うんですけど。
あー、そういうの、目指してくださいよ(笑)
———–(笑)
でも、いろんなやり方があってもいいんじゃないですかね。やっぱり時間感覚ってそれぞれ違うから。北欧のジャズとかきいてみると違う感じがしますよね。はるかにのんびりしてますよね。拍やビートの感覚が、同じテンポでものんびり感覚がある(笑) 人によっても違いますよね。
———–ところで、いろんな切り口の、即興に関する文章を読んでみたいですけど。そういうのがなければ、若尾さんとか、どんどん書いていただくとか。
(笑)ないんですね。
・Gabriel Solis, Bruno Nettl “Musical Improvisation: Art, Education, and Society”
・Bruno Nettle “In the Course of Performance: Studies in the World of Musical Improvisation”
その2冊くらいしかないかな。後は個別の研究はいろいろあるでしょうけど。ケーススタディのような。どこどこのアフリカのどこかのインプロヴィゼーションはこういう構造でした的な。
———–そういうテキスト紹介も、この学会でした方がいいのではないでしょうか?
ま、そうなんですけど、はい、どういう形がいいんでしょうね。普通は、学会では、研究者がたくさんいるから、啓蒙はあんまりしないけど。
———–人が少ないですから(笑)
人が少ないから、それをしないといけない(笑) もうちょっと、そういう人が増えたらいいんですけどねえ(笑)
———–はい(笑)
やっぱり即興っていうのは、まだ、世界的にもまだ、研究分野としてまだまだですよね。即興学というのは、まだないわけです。構想して、やり始めると、面白いものにはなるような。人間の行動、全て、即興というところで、研究するみたいな。それはそれで面白そうですね。
———–各媒体によって違いますよね。言葉だったら言葉、音楽だったら音楽。言葉は小さいときから、ずっと即興で話しているから、慣れているけど、みたいな。
言葉の発話と、即興演奏が非常に近いような民族音楽があったりしますしね。子供のときのメロディ遊びみたいな、言葉遊び、かなり、それに近い。
———–言葉性。おしゃべりみたいな。
はい、はい、おしゃべりみたいだけど、歌でもない、何っていうわけでもない、そんなの。インプロヴィゼーションします、と身構えて演奏するのは、西洋近代的なインプロヴィゼーションであって、なんとはなしにインプロヴァイズモードになって、なんかやっている、というのが、人間にとって自然なものであると思います。
———–確かにクラシック音楽を演奏している人の表情は、とってもかしこまっていますね。
あれは、また、別の理由もあるんでしょうけど。19世紀になって、音楽が、一種の正しい生き方やモラルと結び付けられるという、どうしようもないことが起こった結果というのもある気しますね。
———–即興演奏している人間の状態が、ある種、一つのいい状態、というか、理想的まではいかなくても、いい状態だな、というような信念はありますけど。
あー、そう、なんとなくわかるけどね(笑)
———–即興演奏行為の、日常行為か、何行為か、わかりませんけど、あるいい状態であって、クリエイティブとか、そんな言葉では言えないけど、あるいい状態、というか。最初の話題に戻ると、時間を操作する、あるいい状態を過ごすという。
———–そう、やっぱり時間の問題なんですよね。
なんとはなしに、そういう信念はあります。
———–うん、うん、わかります。時計を見ながら、何時何分までに何をしないといけない、っていう時間の中には、あまり即興的なモードが入り込む余地がないんですよね。気が付いてみれば何分経ってましたみたいな、要するに、持続ですね。時計的タイムではなくて、人間の中で持続している、その方が自然で、そういう中でこそ、即興モードが働く。そういった発想が必要で、「生き方としての即興」というのがありそうな気がするんですけどね。
———–はい。
———–では、ついでに、コンテストについての何かご提案はありませんか?
あんまり、というか、全然わかんない(笑) いろんな意見があって、これでどうやってやるんだろう、って。ほとんどわからないですけど(笑)
実は、即興のコンテスト、スイスのルツェルンであるのは、聞いていてね。来秋くらいで参考にはならないとは思うんですけど。一辺ちょっと見に行ってこようかな、って。参考にね。
———–大会の後ですか。
ついでに受けてくるというのも。
———–エントリーする(笑)
予選で落ちたりして(笑) どんなことをやっているか、即興のコンテストって、そこしか知らないです。
———–この学会の大会が先ですから、その情報を持っていくことになりますけど。
そうだね(笑) そこは何回かやっているみたいで。
———–それの情報を山田さんに教えていただきましょう。では、どうもありがとうございました。