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JASMIMレター0036(2011.02.25)
[寺内大輔さんにインタビュー#2/2]
インタビュアー・編集:若尾久美
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このあとインタビューはいったん休憩に入ります。みなさま、どうも読んでくださってありがとうございました。ご感想やご意見はいつでも聞かせてください。よろしくお願いします。
———–(インタビュアー) 音楽とか美術という括りがあやふやなものになってきていると思うんですが、寺内さんの活動を見てもそう思います。寺内さんが音楽以外の要素を持った音楽(というのか)、そういうものを最初にはっきり掴まれたのが私の記憶では「詩のボクシング(2002年、全国ベスト4)」だったのではないか、と思います。あのときに寺内さんは自分の方向をはっきり掴まれたかなと思います。寺内さんがいわゆる現代音楽を大学で学ばれてその方向で歩んで来られて、そのきっかけが「詩のボクシング」でそのひとつの結果として去年のアサヒアートスクエアがあるんじゃないか、というふうに思っているんですが。
(寺内大輔) 詩のボクシングの経験のお陰で人前に立つのに慣れましたね。ずっとエリザベト音楽大学では作曲を学んでいたんですよ。作曲は人前に出ずに曲をしこしこ書いて、みたいなことですけども。それから「詩のボクシング」より前ですが「暗闇二人羽織(大作綾さんとの活動)」 があって、あれも人前に立つきっかけになったかなぁ、と。人前で何かやるということは、音楽のことだけを考えているわけにはいかないですから、パフォーマンス全体の中で音のあり方を考えるという視点が持てたと思います。
———-それは何年頃でしたか?
90年代の後半でした。その頃、僕は60年代とかの実験音楽や実験的なアートの匂いにあこがれていました。また、パフォーマンス・・・フルクサス的なことにも魅力を感じていました。私は、それらをリアルタイムで感じていた世代ではないけれど、すごく惹かれるものがあったんでしょうね。20世紀がそろそろ終わろうとしていたあの頃でもなお、「実験音楽はまだ死んでいない」という気持ちがあって、自分もまだ何かできることがあるって思ったんです。
———-そのあたりからどんどん進んで今回のスコアスクローラーの作品まで行かれたという気がします。これから先はなにか考えておられますか?
これから先?・・・あんまり今考えてないです。でもなんか作りたいです、モノだったりルールだったりそうこと。特にルールは昔からすごく興味がありました。
———-ルールというのは?
すごく古い話ですが、小学生のときに明るい曲を3度下げて弾いたら暗くなるということに驚いたことがありました。小学校の音楽の時間に「明るい曲」とか「暗い曲」とか先生が言ったりするけど、その明るい、暗い、ていうのは気分的なものじゃなくて、音を3度低くするというシステムで決まるんだなと。
———-方式?
そうですね。そういうことにはもともとすごく興味がありました。大学院時代、「ソニックラボラトリー」という近藤譲先生の授業(20世紀以降の実験的な作品を実際に演奏してみるという授業)があったのですが、あのときに取り上げられている曲の中には、ルールしか書いてないものや、5線譜がないものもたくさんありました。特に興味を持ったのは、即興的な要素や不確定な要素がたくさんあるにも関わらず、その作品の独自性が感じられる作品です。演奏するたびに違った結果になるのですが、それでもやっぱりその作品はその作品だな、っていう感じです。「暗闇二人羽織」の作品も、即興的な要素や不確定な要素がありつつも、作品としてのアイデンティティを持つためのルールがあります。そんな風に、ルールがその世界を決めてしまう、というようなことには、ずっと興味があります、今も。
———-音楽システムの元になってるところに惹かれているんですね。
即興演奏をする時でさえルールや方法を意識しています。今、こんな音が鳴ってるから僕はこうしようかな、それともこうしようかな、っていう判断に何らかのルール、方法がはたらいているように思います。もちろん直観を大事にするのは当然なのですが。
———-相手の音を聞いたときに自分の中になにかルールが生まれる、という感じですか?
そうだと思います。自分がやったことに対してあれはああいうルールでやったんじゃないか、とか、何かこういうことを期待してやったんじゃないかとか。自分の瞬間的な意思の分析をあとでしたりはあります。
———-いまやってることは? やろうとしていることは?
今は特にないです。去年は作曲をしたのですが。これは、伝統的な楽譜に書いた作品です。バイオリン、ギター、ピアノのための室内楽作品です。ただ、楽譜に書いた作品ではありますが、これまでの即興演奏の経験が深く影響してると思います。この曲は、いくつかの元ネタの曲をコラージュして作ったんですが、例えば、バイオリンパートはイザイの「無伴奏ヴァイオリンソナタ」、ギターのパートはジュリアーニの「ロッシーニアーナ 第1番」、ピアノのパートはショパンの「英雄ポロネーズ」、これらを混ぜ混ぜして作った作品なんです。使う音は元ネタのままで、タイミングや混ざり具合を考えながら作曲したのですが、作曲しながら、その瞬間瞬間で次何する?って考えていったのでその辺が即興演奏に近い感覚でした。10年前くらいまでの自分の作曲の方法は、わりと最初から最後まで見通したうえで、さぁどうするか、と考えていました。今回の曲のように目の前しか見えてない作曲ってしてなかったんですね。
———-普通そうですよね(笑)
(笑)ちょうどその前の年にJASMIMの研究発表で「マルチ・イディオマティック・インプロヴィゼーション~集団即興演奏における、多様式混在表現の考察~」を発表したことがあったんですが、全然スタイルの違うものを共存させるという面白さは、即興演奏の経験の中で強く意識したことでした。今回作曲した室内楽作品でも、3曲の全然雰囲気の違った元ネタを共存させています。その意識が強く影響した結果だと思います。
———-共存といえば、寺内さんは、いわゆる楽譜がある音楽と(スコアスクローラーのように)美術作品のようなものとそのパフォーマンス、この2つの離れたことをわりとスムーズにつないでいるように見えます。
自分的には深くつながっています。オランダにいた頃、時々、人から即興と作曲で「ずいぶん違う」と言われたことがあります。「同じ人の音楽とは思えない」と。さらに、音楽に美術を混ぜていくとますます違う、といわれました。でも、自分にとっては、全部自然につながっています。影響し合ってきているんです。また、自分の中で新しいものに興味を持つようになっても、だからといってそれまでやってきたことを捨てるということはあまりしていません。こっちに興味があるからもうそっちはやらんでいいわ、というのは、たぶん僕の中では面白くない。
———-今年の学会大会で予定されているコンテストについてはいかがでしょうか? なにかありますか?
いや、昨年メーリングリストに投稿したものくらいです。そこには、「企画を募集する」という提案をさせて頂いたのですが、僕にとっては、企画のあり方は、即興そのものと同じぐらい興味があります。
———-どうもありがとうございました。