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Perspectives on Musical Improvisation参加印象記
沼田里衣(神戸大学大学院国際文化学研究科異文化研究交流センター協力研究員)
2012年9月10日から13日まで、オックスフォード大学の音楽学部で学会「音楽即興に関する様々な観点(Perspectives on Musical Improvisation)」が開催されました。タイトルにある通り、音楽即興に関して、音楽学、民族音楽学、心理学、哲学、社会学、教育学などの多岐にわたる観点から研究の成果が報告され、発表の後には領域を超えた議論が活発に行われていました。冒頭で企画者の一人マーク・ドフマンより、170件の発表応募から35件に絞ったこと、ヨーロッパや北米に加えアジアや南米などを含む様々な国から80名ほどの参加者が居ると報告されたことからも伺えるように、即興音楽への関心は近年ますます高まりを見せているようです。私は即興音楽に関してどの程度議論が進んでいるのかとても期待しておりましたが、多くの発表で共通して聞かれたことは、「学問として研究対象とするにはあまりにも不定形で曖昧なものであるという認識からは一歩進んだ地点に来ている」ということで、やや楽観的ですが「すでに一つの領域であると言えるのではないか」ということまで聞かれました。
発表は、3件をひとまとまりとして次のようなタイトルの付いた12のセッションに分けられていました。それらを全て挙げると、「即興の概念」、「特定の研究」(イラン音楽、ジャズやモラヴィアの教会などにおける特定の即興について)、「即興の使用」(音楽療法、音楽教育における即興)、「認知と知覚」、「即興と作曲」、「イデオロギーとしての即興」、「コルトレーン」、「音と思想における即興」(哲学・美学と即興)、「指示と創造性」(即興を創造性という観点から研究したものやバンドにおける指示と即興の関係など)、「歴史的遭遇」(ロマン主義時代、ジャズのビバップ以前、現代における即興)、「身体と主体」、「ディスコースと実践」(実践の中でどのようにディスコースが作られていくか)で、こうした多様な領域における研究が一堂に会して発表されることの意義は非常に大きいと感じました。そのうち、印象に残った3つの発表について取り上げてみます。
セッションの中には、公開討論、全体でのディスカッションやIngrid Monsonによる招待講演も含まれていたのですが、まずはLydia GoehrとGeorge Lewisらによる公開討論を取り上げてみたいと思います。その討論では、まずLydia Goehrが、即興を二つの概念に分けてimprovisation extemporeとimprovisation impromptuに区別し、前者を即興音楽に語られる場合にごく一般的に使われる即興、後者をより拡張した意味で、その時、その場において、何らかの困難に直面した場合(人生における困難や、演奏中に楽器が壊れたり聴衆に思わぬ要求をされたりなど)に、即座にウィットの効いた判断をするという意味での即興と捉えたらどうかと提案しました。確かに、捉えがたい即興の性質をより細分化して考えることにより、少しすっきりした気がします。improvisation impromptuを目指しながらも、実際はimprovisation extemporeをしている、という場合は多々あるようにも感じます。次のGarry Hagbergの発表は、コルトレーンを例に、アンサンブルの中で集合的意識がどのように成り立って行くのか、ということを譜例とともに説明するものでした。集団の即興演奏において、個人の演奏を自身がどう捉え、その感情の波が細かい音のネゴシエーションを経てどう変化し、集団の演奏としての特別な瞬間が作られて行くのか、非常に細かい論点から論じていました。これらに対して、研究者でありジャズの演奏家でもあるLewisは、演奏者の視点に立ち、即興にはしきたりや作法、あるいは強制力すらあるものであり、「即興=自由」という思い込みがあるのではないか、と指摘しました。彼によれば、即興演奏は、既にある限界を超える所に意味があるのです。また、演奏家は、音の中で権力関係など様々な模索をしているのであり、そこには単に個性が表れているなどというものではなく、政治性があることも指摘していました。これらの発表の中にもしばしば聞かれましたが、今回の学会を通じてよく聞かれた言葉で印象的なのは、agonism(闘争性)という言葉です。ある発表では、「自由な状態においては戦争と同じことが起こる」というようなことも聞かれ、即興演奏とルールという、相反するが避けがたい重要な問題に改めて気付かされました。