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JASMIMレター0007-0008
[若尾裕代表へのインタビュー: 本学会の2年間を振り返って/今後の展望/次回大会のコンテストについて]
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JASMIMレター0007(2010.10.19)
[若尾裕代表へのインタビュー#1:本学会の2年間を振り返って]
インタビュアー・編集:歳森彰
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インタビュー日付:2010.10.16
JASMIMレターでは、今後、運営スタッフの方や、会員のみなさまへ、インタビューを行うことにしました。こちらからお声掛けもしますし、あるいは、みなさまから、JASMIMレター担当の若尾久美さんか歳森彰にお気軽にお声掛けください。話題は、音楽即興とこの学会に関することなら何でも、です。
まず最初は、学会世話人代表の若尾裕さんにインタビューです。 どうぞお読みください。
2010年10月16日(土)スカイプでインタビュー。
———–(インタビュアー) では、学会世話人代表の若尾裕さんにインタビューさせていただきます。先日は某ジム・プールの大浴場の洗い場の隣でインタビューの申込させていただきました(笑)
(若尾裕) (笑)ホント、ご近所さんという感じですね。
———–ただ、ぼくはメガネをはずしたら、ぜんぜんお顔もわからないくらいでして(笑) 今日の話題は、これまで、3回、設立集会、それから大会が2回と、計3回ありました。それを振り返ってのことと、来年の大会に向けての何かコメントを、ということです。まず、3回を振り返って、何かコメントをいただけますでしょうか。
そうですね、なんか、先細りなので困ったなあ、という感じ・・・(笑)
———–細りというのは、会員数ということ。
それと参加者数。こういうものって、設立した時が、一番ポテンシャル、エネルギーが高くて、だんだん、しずまっていって、落ち着くところまで落ち着くのが、普通のパターンでしょうから、普通の過程だろうと思います。まあ、もうちょっと、会員の方が増えていくといいなあ、って思っています。
———–積み重なっている部分もあると思うんですけど。
はい、だんだんですよね。何となしに、あり方がちょっとずつ固まってきてるというか、ホントはまだ固まってないですけど、固まる方向に行きはじめた、という感じを今回の大会で思いました。
———–具体的にどういうところが。
そうですね、即興ってさまざまなスタイルの人がいて、例えば、排他的だったりするわけですね。普通そうですよね。
キース・ジャレットみたいな軟弱なことやりやがって、とか、フリーの人は思ったり、逆に、調的和声のなかの人は、フリー系だとかフリージャズ系の人たちは、なんて、ノイズっぽい、汚らしい音を鳴らしてよろこんでるのかしら、とか思ったりしてるわけですね。
それを、スタイルの差だから仕方がない、というわけでもなく、お互い混じり合わないものだから干渉しないようにしよう、というわけでもなく、お互いが一生懸命意味を感じて理解し合おう、とするわけでもなく、「何とはなしに共存していく」という、そういう道を、少し感じた、というわけです。
———–はい。今言われたことは、とっても難しいことでもありますね。
そうですね、今まで、それは、どこの世界でもできなかったことだろうと思います。だから、即興の学会なんて、むちゃもいいところなんですけど、ま、やってみて、そういう場がなかっただけで、やり始めてみると、さっき言ったように「何とはなしに共存していく道」も出てくるのではないか、というのがちょっと見えたような気がします。
———–大きく分ければ、研究系、演奏系があると思いますけど、研究系は今までに20件位されたと思いますけど、なかなか、学会誌には結びついていませんね。今のところ。
そうですね、徐々にそういうふうに持っていかないといけないのですけど、そうですね、まだ、アカデミックなベースで即興を扱っている人たちがそれほど多くないということでしょうね。そういう人たちは、音楽学会ですとか、民族音楽学会とか、別のところでやっているでしょうから。
———–じっくり、醸成してくるのを待つということでしょうか?
例えば、音楽教育学会でも、子供たちにどんな即興をさせようか、というのは、20世紀になってからの音楽教育の課題で、いろんな人がいろんな試みをしてきたんですが、それは音楽教育学会で、研究発表されたり、カリキュラムをどうしたらいいか、みたいなことを議論して、研究論文が書かれているのですね。
音楽学の方面、例えば、ジャズでコルトレーンの研究だとか、あるいは、マレーシアのある部族の即興の音楽についてだとかは、音楽学でやっている。
(性急にやろうとすれば)その中の、音楽即興に関して、言ってみればクリップして、こちらに持ってくるという形にならざるをえない。今その成立の過程なので、すぐそこから切り取って、だとか、盗んできて、みたいなことをとするのは、なかなか困難が多いので、ちょっと時間がかかるかな、と。
———–この学会としての訴求力を持てばいいわけですね。
そうですね。
———–魅力というか。
こちらにいらっしゃい、という、客引きをうまくやらないといけないんですけど、ただ、客引きをするためには、ここでやるものは何か、というものが、確立されていかないといけないわけです。じゃあ、ここで何かスローガンを立てて確立して、という形では成り立たないと思うんですね。何かやっているうちに、ああいうことはここでやっている、という部分がでてきて、できあがってくるものだろうと。
———–時間がかかります?
そんな気がします。
———–何年くらいかかるでしょうか? 例えば、学会誌ができるまで。
数年位までで、ちょっとくらいは形になって、ある程度の論文ができていけばいいな、と思います。
———–若尾さんご自身はそこにどんな論文を?
(笑)そうですね、そういうことはありますよね。自分が代表をやっている学会がお留守になるというのは、ちょっと・・・ちょっと考えていかないといけませんね。
———–大まかにどのような構想がおありですか?
私自身がやってることは、こないだもエクセター大学で講演してきたのは、クリエイティビティと即興と近代の間の問題です。それって、すごくいろんなことに結びついていて、ジャズはどうしてああなっちゃったか、だとか、音楽療法で即興を使っているけどホントにいいんだろうか、とか、そういう元のところが気になるものですから、そういう「音楽即興の理論整備」のようなことをやりたいと思います。
最近面白いのですが、フェミニストのセオリーをやっているスーザン・マックラリーという人がいるんですけど、アメリカの12音のものすごい堅苦しい音楽をやっている人たち、今ハーバードとかにいるんですけど、そういう人のことを、女嫌いのホモソーシャルな世界の出来事だ、ということを言っていてね、それを読んで思ったのは、バップってけっこう男の世界だな、ということです。
———–あ、はい(笑)
チャーリー・パーカーも、ディジー・ガレスピーも、セロニアス・モンクもみんなそうですけど、女性っていませんでしたよね、当然社会的文化的理由があるんですけどね。なんと言いますか、人がわかろうとわかるまいがオレたちはバップをやるぜ、ってみんなでやっていた。そういう気分のあり方って、かなり男の道っぽい、高倉健みたいな(笑) 何を言おうとしてましたっけ?
———–12音の・・・
12音だけじゃなくて、即興の世界って、かなりそういうホモソーシャルな要因が、ある部分あるなあ、って思ってたりしててね。
それはごく一例で、さきほど言った、即興がどういうふうに展開されたか、という、その一部として、フリージャズもそうじゃないですかね、かなり、一種ホモソーシャルな世界だったなあ、と。
だから、創造性と即興って、すごく自由で、非常に人間の根源的なところから、普遍的なものをやっている、と捉えがちなんですけど、けっしてそうじゃない。じゃあ、どうなんだろう。そういうところを知りたい、そんなところです。
———–そういう話題も少しずつ構想をアナウンスされると、みなさんが聞かれて触発されるところもあるかもしれませんし。少しずつ、お話を情報公開したいところですね。
これをどこかに書くだとか、本にするだとか、そういうのを考えてやっているところではあるんですけど、肝心な自分が代表をやっている学会に結びついていない、というのは、ちょっといけないですね(笑)
———–では、そういうのは、こういうインタビューなどで少しずつ引き出していくとして。
そんな話は、(学会でも)機会があればやっていきたいと思っています。
———–片や、演奏系の方は、今年はワールド・インプロヴィゼーション・デイと銘打って体験コーナーとか、少しの演奏発表とか、少しずつWEB上に映像を載せながら記録していっています。
これも面白い発展が、ちょっとずつできてくればいいな、と思います。
———–ミュージシャンの方は、学会で演奏発表することと、自分の活動がなかなか結びつかないと思われる方が多いと思うんですけど。
そうですね、いろんな人をこの学会に誘ったんですけど、まあ、私はミュージシャンだからいいですよ、という人が多いですね。
学問と言っちゃうと堅くなるんですけど、演奏を何か言語的に理解してもらいたいというのは、どの方も思っているわけで、それを学問的な言説でやるばかりじゃなくて、別のこともありうる、とはぼくは思っているわけですよね。その方法が確立されていないから、この学会で、ちょっとずつミュージシャンの人が、自分の方法論を示すだとか、ワークショップをするとか、他の人とシンポジウムをするとか、そういう形でできていけば面白いと思います。
ミュージシャンの人が学者のようにトークすることじゃないやり方で、やっぱり言葉を介するしかないので、(音楽即興に関する)何かを理解する方法論も、同時に開発されていけばいいなと思います。それも最初から考えていたことです。
音楽家と批評家って仲が悪いのは、音楽家は音楽だけが全てである、余分な言葉をベラベラしゃべるのはよくない。批評家から見たら音楽家は自分のことを説明できないヤツや、って。音楽家は批評家を見て、アイツら音楽がわかっていない、言葉を使って遊んでいるだけ、とか、そういうことって昔からあるじゃないですか。
どちらもあんまりよくなくて、どちらもある意味で、今から見れば、音楽と音楽的な言説を真っ二つに分ける19世紀的な考え方に捕らわれた立場だなあ、今考えれば思います。
どちらでもないという、そういうことが追求されないといけないと思います。
———–そうですね、それがうまく軌道に乗っていけば、とてもこの学会の意義がありますね。
そうですね、他じゃ絶対やってない、というふうなことができてくれば、いいですよね。
(続く)