日本音楽即興学会 JASMIM

The Japanese Association for the Study of Musical IMprovisation
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 エクセター大学シンポジウムレポート#2-2(嶋田久美さんへのインタビュー)

記載:2010年11月24日

JASMIMレター0014(2010.11.24)
[エクセター大学シンポジウムレポート#2-2(嶋田久美さんへのインタビュー)]
インタビュアー・編集:若尾久美

本文

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JASMIMレター0014(2010.11.24)
[エクセター大学シンポジウムレポート#2-2(嶋田久美さんへのインタビュー)]
インタビュアー・編集:若尾久美
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SocArts Symposium ‘Flirting with Uncertainty: Improvisation in Performance’
エクセター大学ソックアーツ・シンポジウム「不確実さとたわむれる パフォーマンスとしての即興」

こんにちは、JASMIMレター若尾久美です。まだあまり秋が深まらないようですが・・・いかがお過ごしでしょうか。

———–(インタビュアー) 嶋田さんが一番印象に残ったのは?

(嶋田久美) 発表以外の時に、何人かのデノーラさんのゼミの方や研究者の方とお話する機会があったのですが、彼らにどういう研究をしているのか聞いたら、コンフリクトと音楽の関連について興味があるんだ、と言っていた人が何人かいて。

———-コンフリクトってどういう意味なんですか?

コンフリクトは、対立や紛争、闘争など色んな訳し方ができますが、音楽をコンフリクトとの関連でみるというのは、やはり社会学の視点ならではなのかなと思いました。ヨーロッパという土壌もすごく影響しているのでしょうね。日本では、そういう文化的な摩擦だとか争いだとかいったことを表立ってテーマにしにくいところがありますが、必ずしも大きいテーマとしてのコンフリクトでなくとも、音楽を人間の営みとしてみれば、大なり小なりつきまとうことだと思いますし、そういう意味で、すごくリアルな問題だと思いました。

———-このエクセター大学のソックアーツ(SocArts/Sociology of the Arts)ってなにかなあ、と思っていて。演奏や作曲、音楽療法などそういうジャンルの分け方ではない、と思うんですが。

私は音楽社会学者ではないので、詳しいことは分かりませんが、特定の文化の中でどういうふうに音楽が受容されているのか、あるいは機能していうのかということや、音楽を通じて人々が何をどういう風に考えているのかといったことを浮き彫りにしていくのかな、というイメージがあります。

———-なるほど、嶋田さんの研究ともかかわっているわけですね。

私も基本的に音楽作品というものを相手に研究しているわけではないので、そういう意味では音楽を通じてどういったことが言えるのかみたいなところで、音楽社会学とも共通する部分があると感じています。とはいえ、方法論をどういうふうにシェアできるかという現実的な問題はありますが。

———-そうですか、そして音楽即興となんらかの関係が出てくるのですね?

JASMIMのあり方とも通じることかもしれませんが、ポジティヴな意味で、「即興ってなんだ?」という問いに答えることの難しさを感じました。どんな音楽にも即興は関わってきますが、ある特定の音楽における即興を語法として扱うことは今までにもあったと思いますが、根本的な問題として即興をどういうふうに考えていけるのかというのは、やはり難しい問題ですね。

———そういう考え方はヨーロパで、日本でもかもしれないですが・・・広まりつつある?

そこまでいえるかなあ・・・

———-そこから今回のシンポジウムのテーマが出てくるわけですね。

そうですね。改めて「即興とは何か」と総括的に問うというよりは、それぞれのところで潜在している問題をいかにクローズアップするのか、あるいは、クーロズアップする以前の問題として何かがすでにあるのかとか、そういうことを考えさせられました。

(即興は)重要で切り離せない要素なんだけれども、でも、それをどうやって語るのか、どのようにテーマ化し得るのかというところが非常に難しい・・・

———-それで、最初に「一つの問題点や大きなテーマが浮き上がってくるのではない・・・」と言われたのですね。

細かく感じたことはあるのですが、一歩引いてみたときに「なんだったんだ?」となるとけっこう難しいというか、まとめられない。裏を返せば、自分が音楽とどう関わっているのかという、己の立ち位置が問われているということなのかもしれません。そういうことは相対的なところで浮かび上がってくる部分もあるので、やはり難しいなと。

———-なるほど・・・。そのほか、なにか特に印象に残っていることはありますか?

エクセターという町の「匂い」のようなものでしょうか。初めてエクセター大学に行ったときに、そこの土地に降り立ったときに思ったのですが、ここで研究したら、きっと今の自分が考えていることと違うものがアウトプットされるのだろうなと。土地に影響される思考ってすごくあるだろうと思いました。

———-それはイギリスの田舎の町という意味で?

自分が普段いるところは良くも悪くもコスモポリタン的というか、何でも手に入るし、いろんな音楽が受容できるし、たぶんモノも情報も流れが速くて溢れかえっています。エクセターはそういうところではないように感じました。一口に音楽を語るといっても、どこに自分が位置して存在してるのか、どのように人々と関わっているのかによって論じることは全然違ってくるだろうし、一般的なことや普遍的なことなどは言えないだろう、ということをすごく感じました。当たり前のことではありますが。

———-そこで音楽的に、学問的に、なんか途方に暮れるものを発している町ってなんかすごいですね。

コミュニティに根ざした何かはやはりあるだろうと思います。一般的なことを論じる意味というよりは、そこの人々にとって音楽とは何なのか、ということ。ここでは、研究のあり方自体も全然違ってくるだろうなあ、と。だから原真理子さんの博士論文もどのようなものが出てくるのか楽しみです。

———-楽しみですね。エクセターで作ったということが、論文の考え方の根底に流れてる、というイメージがあるわけですね。

そう、わたしはそう感じます。原さん自身はあまり関係ないっていうかもしれないけど(笑) だから今回は、ソシオロジーといっても、どういうことを取り扱うかは個人レベルでまったく異なってくるということをほんとうに感じました。ただし、それぞれがバラバラなことをやっている中で、お互いがどのように意味を見いだせるのかということは課題であると思います。それぞれバラバラだからバラバラでいいでしょう、というのではなく、やはり学問として蓄積されていくものとして、よりメタな次元で何が紡ぎだせるのかということを考えていく必要がありますね。

———こうやって話していただいてとても興味深かったです。どうもありがとうございました。

どうもありがとうございました。


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